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 平成10年頃、金融機関や証券・保険会社がバタバタ倒れて経済も既にデフレが長く進行していた頃「失われた10年」などという言葉が流行った。その後失われた期間は20年・30年となった。私自身は失われた10年の頃から、これはデフレとともに20年・30年・40年と続くのではないかと密かに予想していた。失われた10年の時点で既に日本は成熟社会になったと言われていたのである。成熟した以上はその後の飛躍は望めない、望まないのが当然の考え方だろう。
 平成25年、日銀総裁に黒田さんが就任したが、目標に掲げたインフレ2パーセントは、当初の見込みの2年どころか現在に至っても達成されていない。折に触れて言い訳がましい説明を国民は聞かされている。
 私はこれも絶対無理だと思った。もちろん私は経済に興味はあるが、専門的なことについての知識は何も持ち合わせてはいないど素人である。でも成熟社会が浸透してきたら、高度経済成長時代ほどではなくとも毎年着実に物価が上がってほしいという期待感は、そもそもあり得ないことだと感じていた。国民生活にデフレマインドが既に行き渡っていたが、日本人の精神風土に根ざした経済倫理観、消費者心理を侮ってはいけないと思っていたからである。
 インフレにそんなにこだわるなら、「インフレる」と簡潔な動詞をつくったらどうか。これはインフレに「なる」という下一段活用の自動詞である。インフレに「する」という他動詞ではない。他動詞として使うには現状では無理がある。そして「インフレ」になることに執着して、結果的に日本経済がダメになったら「インフレイル」(医療のフレイルをかけ合わせた)と名付けたらどうか。
 最近の外的要因(ウクライナ問題など)による物価上昇や円安傾向を眺めながらそう思いついた。数か月前から始まった物価高を巡って、黒田総裁が「家計の値上げ許容度も高まってきている」と発言したことについて話題になった(非難を浴びた)が、市民感覚を無視した机上の理論や計算だけで経済は進展しないことは確かである。経済には感情的な側面、諸外国とは異なる日本人特有の経済観念もあることを忘れてはいけない。そこを踏まえて、それを見極めないと大いなる誤算が生まれることだろう。日本経済が「インフレる」ことをしぶとく目指し続けて「インフレイル」にならないことを切に希望したい。
 結果的には皮肉にも今年はインフレ2パーセントの目標に近づくようだが、景気が事程左様に良くならないだろうことは確かである。インフレ、企業の業績アップ、賃金上昇、消費拡大、再びインフレの好循環はまだまだ見果てぬ夢のままになっている。平均賃金が上がらないままの悪循環から抜け出せる見通しは立っていない。



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