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 人間は何故悪夢をよく見るのか。何万、何十万年前の狩猟採集生活の時代だった頃、人はいつ恐ろしい猛獣に襲われるかもしれないといつも怯えて暮らしていた。睡眠時間中、幸せに満ちた夢ばかりを安穏に見続けていたら寝過ぎてしまい、そいつらがいつ襲って来てその餌食になるかも分からない。それで防衛本能的に(結果的には種の保存的に)悪夢を見るようになった。そしてそれでうなされて目覚めることもあった。だから、夜が明けて猛獣が動き回るような時間帯の浅い眠りの時に悪夢を見る。
 以上、そんな話しをどこかで聞いたことがある。学説として本当に成り立っているのか、単なる俗説に過ぎないのか、私の耳学問的な知識なので真偽のほどは不明である。でもおもしろい考え方ではある。
 私がよく見る夢はマイブーム的にいろいろある。まず挙げると、片田舎の小川の畔を何気なく歩いていると、芹などの野草がたくさん生えている。さらに歩き続けると万札が何十枚も風に舞い上がって落ちている。私は嬉しくて堪らない。慌ててそれらを追いかけて拾う。川の流れに乗っているのもある。水に浸かってでもそれらを急いで必死に搔き集める。ここで夢が覚める(そしてトイレに行く)。一時期、こんな夢を何度も見たことがある。
 さらに例を出すと、十代の頃に好きだった異性(もちろん片思い)が当時の若いままで夢に出てくることがよくあった。だが、だいたい肝心なところで必ず目が覚める。少し後味の悪さも感じてしまう。
 もう亡くなってしまった両親の若い頃の姿も夢によく現れる。何かよく分からないことで叱られたり褒められたり、自分の家族の物語として意外な展開がいつも創作(?)されている。
 悪夢については、ありふれているかもしれないが崖や橋の上の場面が多い。崖っぷちに近づいて落下しそうになる。橋の欄干から身を乗り出して川底を見ようとしたらそのまま吸い込まれそうになる。そして目が覚めて、夢だったかとほっとする。
 だいぶ前のことになるが、娘が小さかった頃によく見た夢がある。どこかの公園で一緒に遊んでいて、いつの間にか娘が行方不明になっていることに気がつき、必死になって捜し回る。そんな夢をよく見たものだった。
 現在では、その娘が産んで育てている5歳の孫娘と二人で散歩に出かけ、ちょっと目を放した隙に孫娘が車に轢かれそうになる夢を見たことがある。まだ1歳の下の孫息子については、そこが坂道だとは知らずベビーカーを停めてしまうと、そのまま勝手に動いて下りて行く。慌てて追いかけるのだが、そこで目覚めて、夢でよかったと安堵する。我が家の前にある道路はいささか傾斜があるので、それが夢に影響したのかもしれない。
 いずれにしても、小さな子供や赤ちゃんを相手にして遊ぶことは楽しいが、ヒヤッとしたりハッとしたりすることにどうしても出くわす。それが昼間の名残となって明け方に悪夢として現れる。
 自分自身のことでよく見た悪夢は、大学時代の授業や定期試験のことである。もう50年近く前なのに、今でも夢に出てうなされそうになる。それは例えば、必須科目の授業をサボりまくって、気がついたら全く講義の進み具合についていけなくなっていた。目覚まし時計をセットし忘れて寝坊してしまい、絶対に落としてはいけない大事な科目のテストを受けられなかった。そういった夢である。
 防衛本能の残滓みたいな悪夢は、死ぬまで見続けるのだろうか。綺麗な花野の中を楽しく歩き回るような夢は、ほんとに死ぬような時に見るのだろうか。



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