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 夏目漱石の「こゝろ」は高校生の頃に読んだことがあって、それなりに感動した記憶がある。
 それから社会人になって20代の半ば、ハンディタイプとは言えないがあまり大きくない判型の漱石全集(全35巻)が岩波書店から出版され、漱石作品の大方の長編小説はそのシリーズから買い求めて読んだ。漱石そのものの姿を物語っているような「吾輩は猫である」が一番おもしろかったと記憶している。
 NHKラジオ第二の高校講座「現代文」に「こゝろ」が教材(表記は「こころ」)として使われている。毎年同じような放送をしていて、ここ数年、夜の散歩の時に携帯ラジオでいつも聴いていた。
 そして高校生の時に読み、さらに社会人になった頃にも再度読み返して気になっていたことを思い出したのである。それは三部構成の「こゝろ」の第三部となる「先生の遺書」の長さである。今ならワープロで手紙は書けるが、明治・大正時代の当時は筆か万年筆で書いたのではなかったか。そうするとあの文字数は紙の分量だと膨大な枚数になったのではないだろうか、今の郵便ならレターパックでも収まり切れないほどのものではないか、これは現実的ではないなぁとずっと気になっていたのである。ラジオを聴きながらそのことをふと思い出した。
 それとは別に、何かの雑誌を読んでいたら、高校の国語教科書の文部科学省検定では、漱石の作品は必須項目のようで、漱石を載せないと文部科学省の教科書調査官の審査は通りづらいというような話しのことが書かれてあった。そして、かねがね私がもう一つ疑問に思っていたことにも言及していた。
 「こゝろ」に出てくる先生の妻のことである。小説の中では、とにかく妻に関する記述・描写が著しく少ない。女性の読者はどう思っているのだろうかということなのである。要は、女性心理をかなり省いているようなこの小説を女性が読んでおもしろいと思うのか、男の立場から私も疑問に感じていたのである。
 今のような情報化社会では、こういう小説は流行らないのではないか。作品の文中にある「精神的な向上心」などという言葉も、今の若者にどれほど響くだろうか。私はかなり怪しいと思っている。



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