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 36歳から川柳と関わり始めて、30年近くなるが、このタイトルにある句を詠んだ頃が私の川柳人生の転換点だったと思う。平成21年頃(50代前半)のことである。
 当時、いろいろな誌上大会に頻繁に投句して入賞することに喜びを感じていたが、些か飽きてきた。何か情感のある句を詠みたいと密かに思っていた。女流川柳作家の作品に惹かれ、自分もこんなものを詠めたらいいなあと憧れたのである。今から思うと男の癖に無いものねだりをしていたのだった。
 さて私は、約10名の会員が雑詠を持ち寄って合評する「鬼怒の芽」という会を毎月1回開いていて、20年以上続けている。とにかくみんなが平等にやろうということで、対等な立場で批評を行う。来る者は拒まず、去る者は追わずというオープンな形式も取っている。こういうスタイルだから長く続いているのかもしれない。
 この句は、自宅の自分の部屋でこの「鬼怒の芽」に出す雑詠を詠もうと苦吟していた時、何気なく見た向かいの家のガスボンベを眺めて閃いた句である。すんなり詠めた。詠めて爽やかな気持ちになった。その後「鬼怒の芽」の集まりに持って行って合評されると、発想がおもしろくてうまく擬人化されているとみんなから高い評価を得た。
 その時初めて、こういう句が私の本来のスタイルなのだと悟ったように分かったのである。肩に力を入れて何とか入選・入賞する句を詠もうと色気を出しているうちは、川柳に対してまだまだ向き合い方が足りない。題材となる対象をどこまでも観察していって句の発想を見つけ、結果的に自己も投影するような句が詠めれば、それが私自身の句なのだと分かった次第なのである。借り物ではない自分の言葉で自分を詠むことの大切さにも気がついた。確かにその時が転換点だったと思う。それが今も続いている。

 

 



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