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 その日は10月13日の金曜日。翌日、久し振りに二人の孫に会うため関西で暮らす娘夫婦のところへ行くことになっていた。
 いつものように昼寝してそれからサイクリングをやって家に帰ると、パソコンのブログにコメントが入っている。非公開のものだったので管理者である私の承認待ちだった。そういうコメントが届いたのは初めてだったので驚いた。少し警戒もした。
 用件は、テレビ朝日の番組「川柳9会」を担当している何某だが、私に取材をしたいのでメールアドレスを教えてほしいというものだった。9月末に放映されたこの番組は一応視聴していた。取材のために栃木までわざわざ来てくれるのかなぁと思った。
 こういう時、私ももう歳なのですぐには応答しない。要するに、まぁ慌てない訳である。夕飯を食べていつものように一時間弱夜の散歩をやって、それから風呂に入ってパソコンを開く頃に返信すればいいと考えていた。ところがである。焼きそばを作って早めの夕食をとっているところに件の何某さんから電話が入った。何で私の携帯の番号を調べたのかは謎である。
 話しの内容は、メールアドレスを教えてほしいことの他に、今回の取材はZoomでやりたいということだった。メディアからの取材は何度か経験しているので快くOKした。それで電話が終わるとまたまた電話がかかってきて大事なことを言い忘れていたという。「川柳9会」のスピンオフ番組「川柳9会 夜の部」に出演してくれないかという、いきなりの依頼(かっこよく言えばオファー)だった。それも番組収録日が決まっていて、その日で出演可能かと打診してきた。私のスケジュールは一応空いていた。
 電話を切ってからじわじわとテンションが上がってきた。67歳の俺がテレビ初出演かよ。何か夢みたいな話し。林修がMCをやって、爆笑問題、バカリズム、神田伯山などが出ていたあの番組。そういう人とこの俺が会うの? 頭の中は急に飛び込んできたこの話題で渦を巻き始めていた。
 その後、予定どおり散歩して風呂に入ってテレビを観て…。うーん、なかなか落ち着かない。明日はまだ夜が明けぬ4時過ぎには起床して、関西へ向かわなければならない。まだ誰にも話す気はなかったが、とにかく床に這入ってもなかなか眠れない。時刻は夜中の12時を過ぎた。何か非現実的なことも脳裡を過り始めた。収録日当日、六本木のテレビ朝日に行ったら、怪しい黒塗りの車が待っていて、のこのこやって来た田舎者の私はどこか知らないところへ連れ去られてしまう。うーん、とんでもないことを妄想し始めた。
 何故眠れないのか自分に問うてみた。この歳でテレビに出演することは、芸能界に今更デビューする訳ではないので、これはよくよく考えると大したことではない。有名になりたい、などという色気もない。出演者の作品の添削することも、既に何年も添削指導しているので今更怯むような話しでもない。平常心で提出作品に向き合えばよい。問題は、著名芸能人の方たちに会うことである。これはなかなか素直に受け入れられない。もちろん緊張するだろう。雲の上の存在と対面で仕事するのは物凄いことだ。何が物凄いことなのかもあまり分かっていないけど、とにかくこのことで眠れないのだ。
 そんな自問自答をしているうちにようやくテンションが下がってきて、2時過ぎには眠りに入った。そして4時には目覚ましで起こされた。東京までの東武の特急電車の中で数十分居眠りした。東京からの新幹線のぞみでもいくらかは眠れた。しかし合計しても1、2時間の睡眠である。
 娘夫婦宅に着いて、早速5歳の孫娘のお相手をしたが、少し頭が痛かった。孫娘はお絵描きに夢中で、栃木のじいじに次々リクエストを聞いてそれをもとに何枚も描きまくる。うーん、何とか夕飯の時間まで付き合った。そしてその日はビールを飲んでたっぷり寝た。よーく眠れた。次の日は生後7ヶ月の孫息子をベビーカーに乗せて、孫娘と三人で近くの公園で小半日遊んだ。いい日和だった。
 さて、テレビの話しに戻ると次の週にはZoomによる取材。というより出演の打合せがあった。制作スタッフとの初めての対面である。とりあえず、何で私が指名されたのかを訊いてみた。担当者が言うには、拙著「添削から学ぶ 川柳上達法」を読んで、添削だけで1冊の本になることを知って驚き、私に声掛けしたとのこと。本を出してよかったと素直に思った。
 その後、収録前の2回目のZoom打合せがあった。これは出演者の提出作品(勿論匿名)を1句ずつ読み込んでコメントや添削を話し合った。出演に向けての事前準備である。そして数日後には収録となる。
 収録の日は、午後6時15分の収録開始の2時間半前に来てくださいと指示されていた。午後3時45分である。余裕を持って六本木のテレビ朝日へ向かった。栃木から東武線でのんびりと浅草駅まで行き、そこから地下鉄銀座線に乗り換えて溜池山王駅を下車。そこから徒歩数分で目的地。スタッフから事前に、スタジオがあるビルは通りから少し入ったところに位置しているので分かりづらいかもしれない、と言われていた。そのとおりだった。後から思ったのだが、大きなビルなのに玄関があまり目立たない。一般的なオフィスビルとは趣きが全然異なる。後で私なりに思ったのは、有名芸能人や政治家・文化人、さらにスポーツ選手などが番組出演のためにたくさん入ってくる訳である。玄関は目立つ必要はないな、と。
 下の写真は私の名前が入った楽屋である。中へ入ると、飲み物やお菓子、お弁当が用意されていた。私は、喉が渇くのではないか、小腹が空くのではないかと心配して、自宅から飲み物、食べ物を持参してきたが、それは心配無用だった。よくよく考えると、これくらいはテレビ局側でも用意してくれるわな、と思った。
 そんなこんなで緊張し続けながら、一応メイクなどもやった。生まれて初めての化粧である。数分程度だった。そしていよいよ収録時刻となる。〈その2へ続く〉

 

 

 



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テレビ初出演-その1-”にコメントをどうぞ

  1. 徳永楽遥 on 2023年12月27日 at 8:40 PM :

    その2、興味津々。飲み物・お菓子はどんなものがあったのだろう。何弁当か、2個あったのだろうか。写真撮りましたか?

  2. 三上 博史 on 2023年12月28日 at 6:27 AM :

     楽遥さん、ありがとうこざいます。
     お菓子は一般的なものでした。飲み物は水とお茶の2種類。スリムなペットボトルでいずれもラベルが貼っていなかったのが、妙に感じられました。とにかく東京ですから、何があってもおかしくはありません(笑)。

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