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 毎週土曜日の夜11時から放映されているNHKのEテレ番組「ETV特集」は、毎回必ず予約録画して視聴している。観ている途中で眠くなるような時もあるが、逆に眠気が吹き飛ぶほど興味をそそられる内容の話題作もある。地味な番組でそういう私にとってのヒット作品に出遭うと素直に嬉しい。まっ、これは偶にしか経験しないことではあるが…。
 さて4月15日に放送された「誰のための司法か~團藤重光 最高裁・事件ノート~」は、久しぶりに眠気が起きないものだった。おそらく視聴率も高く好評だったのだろう。その後、改めて再放送(7月8日)された。NHKのホームページには次のように紹介されている。

 航空機騒音に苦しむ住民が国を訴えた「大阪国際空港公害訴訟」。公害で初めて国の責任が問われた歴史的裁判だ。二審の大阪高裁では「夜間の飛行停止」を訴えた住民側が勝訴したが、81年最高裁は一転して住民の訴えを退ける判決を言い渡す。なぜ結論は覆ったのか。判決から40年余り、その内幕を明かす資料が見つかった。元最高裁判事・團藤重光が遺したノートである。関係者の証言で團藤のノートを読み解き、裁判の内実に迫る。

 番組を観ていないがもっと内容を知りたい方はWikipediaなどで検索(「大阪空港訴訟」「団藤重光」)すると、その概要を知ることが出来る。
 さて、この番組を観て私なりに感じたことを以下に記したい。
 団藤重光という人は、日本刑事法学の第一人者、文化勲章も受賞している大変優秀で偉い方である。学者(東大教授)から最高裁判事になった。その人が書き綴ったノートが見つかり、昭和40年代から50年代にあった大阪国際空港の騒音公害訴訟について、最高裁の審理中に行政府(当時の運輸省・法務省)の介入があったことが判明した。最終判決は、夜間の飛行差し止めを求めた住民側の主張が通らなかったのである。
 具体的な介入については、何とか夜間の飛行停止を回避したい被告の国側から依頼を受けたと思われる元最高裁長官が、電話1本で審理を担当する小法廷裁判長にその旨を指示したことがノートに記されていた。最高裁といえども所詮お役所、その判事も宮仕えの公務員であるから元の上司には逆らえない訳である。その経緯を知った担当裁判官の一人である団藤は、自分のノートに「怪しからん」と、その憤りぶりを書き綴っていた。
 この判決はその後の住民による公害訴訟の方向性に大きな影響を与えたと言われている。ただし、夜間飛行についての国際的な常識を踏まえれば、判決内容は結果的に妥当だった(やむを得なかった)とも言える。もし夜間の飛行差し止めが認められれば、日本の常識は世界の非常識になりかねなかった。番組に登場した国側の訴訟担当者の一人は、このようなノートは公にせず速やかに処分すべきだった、と何の躊躇いもなく言い放っている。自分は正しいことを主張したのだという自負があったのだろう。
 なお、当時この経緯を取材した新聞記者がいて、介入疑惑を報道する記事もあった。結果的に記者の報道は間違いではなかったことになる。
 さて1時間の番組を釘付けで視聴しながら一つも眠くならなかったが、画面を観ながら並行して私なりの疑問も湧いてきた。日記みたいなノートに記述されたことについて、一体どういう意味と価値があるというのか。
 裁判官の守秘義務を考えれば、私的なノートに記すこと以上の行為は不可能なのかもしれないが、あまりにも中途半端な態度である。何らかの行動を社会に示して初めて、この「怪しからん」の憤りが活かされるのではないか。後世になって憤りが発見されても、当時の疑念が明らかにされただけで、それ以上のものではない。
 うーん、振り返って少し後味の悪い番組だった。人は行動を通して評価される。エリート学者出身裁判官の限界を素直に感じたのである。

  三権分立これが一番噓くさい   博史



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