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 昨年1月頃から始まったコロナとの戦いは、2年目となってコロナと資本主義の戦いであることを改めて考えさせられた。
 資本主義というのは貪欲なものである。欲求の塊が経済を回している。いや社会を支配している。一人ひとりの人間の欲求が集まって、社会的欲望として巨大化し強固なものとなる。
 そういった状態を長く続けていて、それが根底から揺らぎ始めようとしたら一大事である。コロナは少しだけ欲望の根底を揺らしたようである。だから人類は経済的に慌て始める。コロナを退治しようとすることは、コロナ以前の経済社会、それなりにうまく機能していた貪欲な資本主義経済にしっかり戻そうとしている訳である。
 コロナが拡がって大変な騒ぎが進行中であるが、ワクチン接種、特効薬の開発というのは、それがうまくいけば元の経済生活に戻れる保障となる。実際にそうなるかどうかは別にして、そう信じたいという欲求がある。
 本当に元の経済生活に戻るのだろうか。戻るべきなのだろうか。ソーシャルディスタンスという言葉が流行った。私は、ソーシャルディスタンスという間隔・感覚がもともとノーマルなものであり、それ以前の人と人とのあまりに近づきすぎた間隔・感覚がアブノーマルだったのではないか、と個人的には思っている。
 貨車のようにも見える満員電車の乗車人数に限度を設ければ、他人と距離がある程度保たれ、痴漢などという事件も減るのではないか。非現実と言われるだろうが、吊り革を廃止して特急電車並みに座席数イコール乗車定員にするのである。採算が合わなければ、値上げすればいい。値上げした分がそっくり吊り革に摑まって他人と触れ合いながら揺られるストレスの軽減に貢献することだろう。映画館、各種ホールも客席数を思い切って減らす。オリンピックの時に無観客で使われた新国立競技場は68,000人の収容定員だが、3分の1程度に客席を減らす改造をやったら、新しい日常の中でしっかりソーシャルディスタンスが保たれた観戦ができるというものである。喚声も許されるだろう。わざわざ客席を一つ空かしで座らせることもない。どうしても体をくっつかせて観戦したいカップルにはそれ専用のコーナーを設ければいいのではないか。
 人と人の肌が触れ合う程の至近距離というのは、この上なく不快に感じてストレスの元凶となる。今までが変だった。それをきちんと正していく。それに気づいただけのことである。
 問題は、これが貪欲な資本主義経済とまともに衝突することである。経済効率性だけを追求する考えとまともに矛盾する。かつて「ゆとり教育」という言葉が流行ったが、貪欲な資本主義に「ゆとり」は似合わない。ビジー(Busy)が本質のビジネス(Business)には無理な話しなのである。コロナでどんなに社会が変容しても、資本主義の貪欲さは残念ながら維持されてしまうのだろう。



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