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 学生時代に経済学用語の「依存効果」のことを知った。ネットのコトバンクには、この言葉は以下のように解説されている(出典は「ブリタニカ国際大百科事典」)。

「生産者の宣伝,広告によって消費者の欲望が喚起されること。貧しい社会では欲望は必要によって決定されるが,豊かな社会では消費者の顕示欲が消費を促すばかりでなく,生産者の宣伝などの販売技術が欲望をつくりだす。消費が生産過程に依存するという意味で,『ゆたかな社会』 The Affluent Society (1958) において J. K.ガルブレイスが命名した。」

 「必要は発明の母」と発明王のエジソンは言ったそうだが、発明された物は、一旦大量生産というプラットホームに載せられると、必要性という消費によって生産量が決まる訳でなく、贅沢な世の中では生産(供給)側によって需要量(欲望)が決まる訳である。現代の消費社会を眺めていると、この逆説的な考えにはなるほどと頷くことばかりである。
 みんなが欲しいと思うからたくさんの物が作られるのではない。欲しい、欲しがるという心理を宣伝などでうまく操って、生産されるべき供給量が決まっていく。
 私は20年近く前、某メーカーのあるユニークなデザインの車が欲しいとずっと思っていた。そして何年も乗り回してっていた愛車がいよいよ駄目になり、この車にようやく乗り換えた。ディーラーに行って早速注文して契約する際にこんなことを言われた。この車は、発売して5年以上経っているがモデルチェンジはほとんどしていない。売れなくなるとテレビコマーシャルを出して売り込み、また売れなくなるとテレビコマーシャルを出して再び売り込む。その繰り返しで販売してきた、と。人気車だったがそんな販売戦略で売ってきた訳である。
 まさしく依存効果を地で行っている車だった。コマーシャルで欲望をかき立てれば、赤子の手を捻るくらい簡単に生産された物は売れて消費される。
 需要と供給の関係の正しい姿とは、生産によって消費がコントロールされるのである。必要性などが入る余地はあまりないとも言えるだろうか(これは少し言い過ぎか)。それが現代の経済社会なのである。
 物が巷に溢れ返り、生産のための生産、消費のための消費が行われている世の中のからくりとは所詮この程度のものなのだろう。
 かつてある有名な経済評論家がこんなふうなことを言っていた。欲しい物、買いたい物がある場合、その名前を何かに書いて家のどこかの壁に貼っておく。毎日それを眺めていると、大方は半年程度で飽きてきてそれを買いたいとは思わなくなってくるだろう。私はなるほどと思った。消費行動の動機とはこの程度のものなのだ。特に若い時分に物を買いたがるというのは、半分コマーシャルに洗脳されたようなものだから、飽きるのも早い。忘れるのも早い。
  最近の話題に絡めて話すと、3Gのガラケーが使えなくなり、スマホへの買い替え誘導が携帯電話各社で進められているが、70歳前後の川柳仲間でスマホへ乗り換えた人が何人かいる。話を聞くと、通話機能としてスマホをよく使うが、ネットもメールもSNSもやらないのが殆どであるらしい。付加価値を押し付けて買わされ、結局割高な料金を毎月支払わされる。売る方は、たくさんの機能が付いて便利だと何の罪悪感もなく売りつけるが、結果的に損をしている実態についてどう考えているのだろうか。
 売る側(生産者・供給者)の欲望によって、使う方(消費者)が見事に踊らされている典型といえるだろうか。生産者の欲望による依存効果なのだろう。



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