Loading...Loading...

 学生時代の曖昧な記憶で大変恐縮だが、ある文学者が何かのエッセイで、特定のある食べ物(料理)が本当に好きならば、それだけを飽きずに食べまくるのがグルメなのだというようなことを書いていて、なるほどそうかと思い、それがずうっと私の頭の隅に残っている。
 和食でも洋食でも豪華な料理はいろいろなメニューが出されるが、それを一品一品美味しいと喜んで食するのは、ある意味邪道だという訳である。一つずつ食べていって、ある料理が一番に旨いと思ったら、それを何回もお代わりしたくなるのが自然だろう。しかし、会席の場やコース料理でそれをやったらはしたなく思われる。何品も詰め合わせた幕の内弁当も、そもそもがグルメの料理ではない。つまみ食いみたいな食べ方だと言える。
 若い時分は、アルコールも無茶飲みするが、料理も無茶食いする。餃子を無性に食べたくなったら、2人前や3人前はペロリと食べてしまうことができる。ご飯も要らない。餃子だけを無心に食べる。若いから、そんなことが平気でできるのである。回転寿司でまぐろだけを何皿も食う。他には目が行かない。カレーライスならカレーとライスだけ、福神漬けは不要。とんかつやハンバーグを載せるなんてのは野暮の骨頂となる。
 最近のテレビの食レポ番組は、ほとんどが予行演習をしたうえでのわざとらしさたっぷりのコメントを聞かされ、いつも視聴者を辟易させる。そして何品も出る豪華料理は、絶対的にすべて美味しいと思わなければいけないような雰囲気になっている。これはよくない。別の見方をすれば、テレビでよくある大食い競争大会で同じものをどれだけ食べられるかという番組の方が、スッキリしたところがあって素直でもある。無理やり食べていても噓くささは感じられない。
 私はへそ曲がりな性格なので、以上のようなことを書いた次第であるが、いろいろな品を少しずつ食べて喜ぶような食べ方は上品に見えることかもしれないが、裏を返せば単に年取っただけという証拠だと思う。単品大盛主義が出来た若い頃が懐かしい。

 



この投稿を読んで「いいね」「参考になった」と思ったらクリックをお願いします。
なお、Facebook、Twitterなどのアカウントをお持ちの方はそちらをクリック頂き、また、「ひざポン」ボタンもクリックください(ひざポンは無記名ボタンですのでお気軽にクリックください)。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K