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 高校2年の時の倫理社会、通称倫社の授業がかなりユニークだった。いやユニークを超えていた。
 昭和40年代後半のその頃、日教組の活動がかなり新聞を賑わしていた。担当の先生は、どうもそれに入っているらしかった。とにかく授業をやらない。教科書を開かせて教えるということをしない。いきなり教室に入ってきて黒板に詰め将棋を書いて、これが解けるかと生徒に問いかける。将棋の好きな者は喜んで手を上げて解こうとしたが、私は将棋をやらない。おもしろくも何ともなかった。そんな授業で、いや授業以前の時間つぶしの中で生徒は不満を持つことはなかった。倫社というマイナーな科目は大学入試でこれを選択する者はほとんどいない、捨てていいものだったからである。
 さて、ある時その先生が教室に入って来るなりいきなり黒板に二等辺三角形を大きく書き、二辺の斜辺の長さの和は底辺の長さに等しいと言明した。そんなバナナの話しである。そしてその二等辺三角形の図形に補助線を入れて説明し始めた。
 まず左側の斜辺の真ん中から底辺に向かって、右側斜辺と平行になる線を引く。これは当たり前だが底辺の真ん中に行きつく。次に今度は右側斜辺の真ん中から底辺に向かって、左側斜辺と平行となる線を引く。これも底辺の真ん中に行きついて先ほどの線と合流する。下の写真にある図の「逆さW」の太くて黒い線を見ればそれが二辺の斜辺の長さの和と同じであることがすぐ分かるだろう。この作業をもう一度繰り返すと「逆さW」が二つできて(二つの赤い「逆さW」の線を参照)、…更に四つ、八つと出来て倍々に増えていく(写真の図では省略してある)。そして、それらの和は二辺の斜辺の長さの和と同じであり続ける。
 段々にジグザグ線になっていくのが想像できる。これを無限に繰り返せば一直線になっていく訳で、つまり底辺の長さと同じになる。だから二等辺三角形の二辺の斜辺の長さの和は底辺の長さと同一になるのである。

 みんな啞然とした。誰も反論できなかった。あまりにおもしろかったので、その後、大学に入って友達にクイズとして出したり、自分の娘が中学生の頃にもこの話を持ち出したりした。おしゃべりの中のどうでもいいトピックとしては手軽で重宝なものだった。もちろん、すぐ反論して誤りを指摘できる者はいなかった。
 かなり年数が経って、この定理の詭弁のからくりにふと気がついた。どんどんジグザグになっていく線は永久にジグザグのままなのである。線をどこまでも細くしていったら一直線になることはない。私なりのささやかな発見であった。
 話しはずれるが、人間の小腸の内壁にはひだ状の粘膜があり、そこから無数の柔突起が出ている。その凸凹をすべて伸ばして表面積を測るとテニスコート1面の広さに匹敵する。なかなか信じられないがよく聞く話しである。二等辺三角形の「永久のジグザグ」を見つけ、二辺の斜辺の長さの和は底辺の長さに等しくないことが理解出来た後、そのことを急に思い出した。永久のジグザクはどこまでもミクロの世界へと突き進んでいく。小腸のテニスコート1面分の表面積はミクロからの積み重ねである。方向は真逆であるが、ミクロ的世界という共通性はある。そのように思いついたのは、高校2年から半世紀近く経って立派な中高年になった頃だった。
 以上、私の話しに何か数学的な間違いはなかっただろうか? あったら教えてください。
 最後に倫社の話しをもう一度持ち出すと、大学で哲学を専攻して、西洋哲学史や西洋思想史の本をよく読んだ。その知識をベースに高校教科書の倫社を改めて読み直すと、砂に水が吸い込まれるようによく理解できた。まっ、これは当たり前の話しである。しかし、倫社の教科書を読んでおもしろいと感じて大学で哲学を学ぼうとするのは余程の奇特な生徒なのではないか。名作と呼ばれる長編小説を粗筋だけ読んで感動することがないように、日本史や世界史、地理などを含めた社会科の教科書は、どれを眺めてもおもしろいものは無い。ここからアカデミックな興味を芽生えさせるというには無理がある。

 



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