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 中学・高校の頃、学校で食べる昼食の弁当は新聞紙に包んで持って行った。中学校では牛乳が1本(瓶詰・180cc)が出たが、高校ではそれが出ない。代わりにお湯(白湯)が出た。当番がでかいやかんで、弁当箱の蓋にお湯を注いで回るのである。弁当箱は底の浅い長方形のアルマイト製で、革製の黒カバンに立てて入れるから、おかずがいつも新聞紙に滲み出ていた。
 高校3年の受験生の時、公開模擬試験を受けに東京の予備校へ何度か行った。受験勉強の気晴らしも兼ねているし、卒業したら東京へ出ることはほぼ間違いないので、その予行演習的なところもあった。
 12月の寒い時期、最後の公開模試があった。母親がまだ夜が明けぬうちから弁当を作ってくれた。その時は珍しく駅まで送ってくれた。心配してくれたのだと思う。
 さて、予備校で模試を受けて午前の部が終わり昼食となる。みんな自分の座席でおにぎりや弁当を広げて食べ始めた。私も同様である。おにぎりを食べていくうちにあることに気づいた。おにぎりでも弁当でも、それを新聞紙で包んでいた者はどうも私一人らしい。東京はもちろん埼玉や千葉辺りからも来ているのだろうが、一番の田舎の栃木から来た私は新聞紙の弁当だった。ちょっとだけ恥ずかしかった。
 年が明けて2月、本番の入試の時期になった。いくつもの東京の大学を受けることとなったが、親父の親戚が東京の東村山(志村けんで有名になったところ)に住んでいて、そこに何泊か泊まらせてもらうことになった。
 最初に受けた大学は飯田橋の試験会場だったことを憶えている。そして、親戚のおばさんが作ってくれたおにぎりは、丁寧にアルミホイルで包まれていた。これは私の母親と同じ。違うところは新聞紙を使わず菓子折か何かの包装紙を使っていたところだった。栃木は田舎、東京は都会、当たり前すぎることを感じた。もっとも、その後母親がおにぎりを包む場合は新聞紙などは使わなくなった。中学・高校時代の限定だったのである。

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