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 6月から、地元公民館で生涯学習活動としてやっているコーラスのグループに入会した。以前から歌を歌って喉を鍛え、これで老化防止をしたいと考えていていよいよ決意した次第なのである。入ってみると10名前後の会員がいて、案の定男性は私が初めてだった。これは覚悟していたことなので驚かなかった。
 月に2回、2時間のレッスンがあるのだが、コロナが収まるまでは月に1回に減らされている。講師の先生は女性でいつも優しく教えてくれる。レッスンが終わると気分がいい。喉が鍛えられるだけでなく、メンタル面でもいい効果をもらっている。
 さて秋に発表会があり、早速その準備と本番に向けての練習が始まった。曲目は童謡と昭和50年代のフォークソングなどを歌うことが決まった。
 楽譜を見ながら発声するのだが、譜面の歌詞はほとんど平仮名で書かれている。あるフォークソングの曲で、これを何度も歌って練習しながら、歌詞の意味が分からないなぁと感じるものがあった。いわゆるシンガーソングライターの作った曲で、以前はカラオケなどで何度も歌ったものなのだが、改めて歌詞を読むと、どういうことを言っているのかさっぱり分からない。映画の主題歌にもなっていたので、歌詞全体の雰囲気だけは何とか感じ取れる。でもつなげられた詞(ことば)の流れが分からない。
 家に帰ってネットで調べてみると、私と同じ考えを持つ人が結構いた。口当たりのいい単語を並べて、うまくメロディーとリズムに乗せている。しかし、メロディーとリズムを除いた詞だけの世界に入って行くと興趣が感じられなくなる。
 私の文芸仲間で元作詞家、現在詩人として活躍している女性がいる。その人が、詞と曲は全く別物、そして詞が出来てからそれに曲をつけるのが正しいやり方であると自説を述べていたことがあった。
 曲に合わせて詞を作ったり、あるいは同時並行で作詞・作曲をするやり方は邪道なのである。まず音楽抜きで詞そのものをきちんと味わえないといけない。戦前や昭和30年代の歌謡曲は詞がしっかりしていた。すばらしい詞を書く有名な作詞家が何人もいた。また詩人でもしっかりとした心に響く歌詞を書いていた。
 これが昭和40年代以降、シンガーソングライターなどというのが現われて、変な言葉づかいで結果的に歌詞を毀損するようなことを始めてしまった。歌詞とメロディーが怪しげにもたれ合い、ただムードに乗っているだけのものが多い。歌詞の詞としての文芸性は低下した。曲があるから辛うじて歌詞として許される。それが無ければ価値を見出せない。
 秋の発表会で歌う曲の中で、そういう曲が1曲入っているのである。歌う方も聴く方も誰も気がつかないのではないか。曲に騙されているだけの名曲。韻を踏むために意味は二の次というのならいくらか理解できるが、そういう箇所もない。残念ながら世の中の音楽はそういうものになってしまったのである。
 先ほどの詩人の話しの繰り返しになるが、歌はまず歌詞として単独の興趣があること、次にメロディーとリズムに乗せてさらに味わいが深くなり、歌う人の上手さでその歌が完成すること、これが基本である。川柳を詠む者としてもこれは譲れない。

 

 



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