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 小学校5年生の時にいじめに遭った。それも担任の先生からである。詳しいことは省くが、私の母親と教育方針が合わなかったからである。教育方針といっても大したことではない。私の母親は、小学校時代は学力より体力(健康)、勉強は中学からでも間に合うという考え方を持っていて、春の家庭訪問でそれを担任の先生に話したら、それが癇に障ったらしく、翌日から私は別扱い、授業で無視されてしまったのである。思い出したくもないこともあるのでもうこれ以上の説明は省くが、当事者である私には全く非がないのに、先生が私を無視する態度は半年以上続いた。翌年の持ち上がりの6年生の頃にようやくそれが収まった。
 このストレスは相当なもので、身体にいろいろと出た。蓄膿症みたいな症状が出て耳鼻科にかかったがなかなか治らず、恥ずかしながらおねしょも頻繁に起きた。それでも学校には行かなければならない。先生には悪く思われたくない。その一心で何とか頑張った。
 幼児について親からの虐待のニュースがしばしば報道されるが、虐待のことを正直に話さない幼児の心理がよく分かる。小学生だって、先生からのいじめをいじめとしてそのまま認めたくないのだ。何とかもう一度好かれたいと必死で思い込もうとするのだ。
 その先生が嫌いになったのは卒業して中学生になってからだった。今でも心の傷は癒えていない。
 ずっと時間が経ち、蓄膿症もおねしょも先生からのいじめが原因だったことに気がついたのは、私が50歳過ぎてからのことである。
 そんなこんなで、いかなる学校の教師・教員も信用したがらない傾向が身に付いてしまった。勉強をする上で、信じるもの、信じられるものは自分しかいないという考え方になってしまったのである。自分の努力だけが信じられる。そしてそれは、知らず知らずのうちに必ず報われていく。
 コロナ騒ぎで学校教育へのしわ寄せがいろいろ取り沙汰されているが、わたしから見れば、生徒は不満を言う前に教師をあてにせず自分で勉強しろと言いたくなってくる。
 ある大学病院の救命救急センター長がこんなことを語っていた。「振り返ってみて何人もの救急患者を救ってきたが、それが助かったのは私の力によるものではなく患者さんが治そうとする意志を持って頑張ったからだと実感している」
 医療も自分(患者)次第なら、教育はそれ以上に自分(生徒)次第なのだと思っている。



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先生が嫌い!”にコメントをどうぞ

  1. たむら あきこ たむら あきこ on 2020年9月21日 at 4:22 PM :

    極端なことを言うようですが。
    学校教育は必要でしょうか?
    テキトーな知識を売って何十年も稼いでいるだけの、反面教師としての価値しかない教師とか。
    こういう時代ですから、これからは、知識的なことはパソコンで同一の正確な授業を受け、試験だけやればいい。(試験がないと、勉強しませんからね。)
    体育とか、そのような学科はどうするか、それはまた別にして。

  2. 三上 博史 三上 博史 on 2020年9月21日 at 9:41 PM :

    ありがとうございます。
    かなり過激な意見ですね。
    今回のコロナ騒ぎで、教育も大きな曲がり角を迎えるかも…。

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