2020年12月17日のブログに「我が家の餅つき | 三上博史ブログ (shinyokan.jp)」を書いたが、かつての三上家独自の鏡餅の食べ方をお教えしたい。
松の内が明けると、神棚などに上げられていた鏡餅は下げられる。それらをお汁粉にして食べることもあったが、我が家はフライパンで焼いて醤油を垂らし、焼き餅として食べていた。
鏡餅は何日も経つと表面が干乾びてきて細かい割れ目が出てくる。これをオーブンなどで焼いて食べることはしなかった。伸して切り餅にしたものは、例えば醤油に漬けたり(これを我が家では「つけ焼き」と称して、焼き海苔も巻いていた[いわゆる磯辺巻き])、餡子を載せたり、黄な粉をまぶした安倍川餅にしたりして食べていた。カレーや納豆、大根おろしと食べてもおいしい。まさに切り餅は万能。しかし鏡餅は干乾びたところが硬くなっていて、いくら焼いてもその硬さが残る。無理して齧ると歯が欠けたりすることもある。
我が家の焼き餅は、鏡餅をいくつかに砕く。両手を使ったり、砕けなかったら包丁で切ったりする。いくらか油を大目に引いたフライパンに硬いまま入れ、ガスをかなり弱火にしてじっくり焼いて揚げる。硬くなったところは油で揚がって、かりっと軟らかくなっている。中心に近いところはなかなか軟らかくならないので、かなり時間をかけて火を通す。場合によって表面が黒く焦げてしまうこともあるが、これは仕方がない。温かいうちに皿に盛って醤油をかける。油も染みていて絶妙の旨さを醸し出す。外側の硬いところは「おかき」、中側は軟らかい「お餅」という二重構造。これを午後のお八つ時に母親がよく作ってくれていた。
この料理は、市販のお餅ではうまく出来ないのではないか。自家製の餅でないと二重構造の風味や食感は味わえないだろう。
親に似たのか、娘も子供の頃は、ばあちゃんの焼き餅が大好物だった。そして学校から帰ると、よくねだっていた。親子の好みは似ている。
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