平成三年
アル中の支持はいらないゴルバチョフ
グラスノスチ、ペレストロイカのゴルバチョフ人気。
欧米受けはしたけれど、ソビエト国内では・・・
西側を訪問するたびに、「ゴルビー」なんて愛称で呼ばれていた。
国内では、アルコールの販売に制限を設けたり、国力の再生に尽力したのだが、大国だった祖国を分裂に追いやったとして、人気がいま一つだったことは、西側メディアではほとんど報じられなかった。
平成四年
うれしいようなかなしいような流行語
この年から、失われた十年などと呼ばれるようになる。
バブルの反動で何もかもが凍結したかのよう。
有効求人倍率が1を切る
流行語は「うれしいようなかなしいような」
きんさんぎんさん語録である。
平成四年(1992年)は、ハウステンボス開業、Gショック発売、ラ王発売など、
精神的には、まだバブルの勢いを保ったままの、一年だった
平成五年
宮沢内閣崩壊
嘘ついただけで解散させられる
なんと!解散すると言って、その前後のタイミングでしなかっただけで・・
いや、政治家が「嘘をついただけ」で、解散に追い込まれてしまったのである。
結果、55年体制というレガシーが崩壊する。
元は、佐川急便事件。
金丸副総理への巨額な献金。
竹下総理へ、直接献金するのは拙いから、金丸さんが受け取ったという理屈も語られた。
それにしても、金丸さん家から、無記名の割引金融債が八十億円?も出てきたのにはタマゲタ。
漫画の世界だね。
結局、宮沢内閣は崩壊して、細川連立内閣が誕生するのだけれど、夜中にテレビで、国民福祉税7%とか、いきなり言い出して、細川総理も求心力が無くなっていく、しまいには、佐川からの献金が表ざたに。
ちゃんとした金だ! と領収書を出すのだけれど、日付が9月31日
そんな日は無いもの。
これで、細川さんもジ・エンド
後を羽田孜さんが引き継ぐのだけれど、組閣ができない状態。
なんと一日だけだが、羽田さんの一人内閣になる始末。
総理以下、大蔵大臣、総務大臣、文部大臣etc・・全部羽田孜。
何とか組閣はこなすけれど、すぐに社会党が離脱してしまい、自社さ連立政権誕生。
社会党の村山さんが総理大臣になってしまう。
なかなか激動の一年だった。