徘徊と彷徨
痴呆症が認知症と名称変更された2004年頃には、その症状の一つである徘徊という言葉もかなり普及されていたと記憶する。つまりこの言葉で、行ったり来たりうろつくことは認知症患者を特徴づけるものの一つとなっていた。だから、患者ではない健常者がそういう行動を取る場合には、徘徊するとは言わなくなった。徘徊イ...【続きを読む】
楤(たら)の芽、蕗の薹、茗荷、三つ葉、蕗、韮
一人暮らしになって今年の春は2回目となるが、拙宅裏庭に毎年生えてくる楤の芽を食べ始めた。芽はやたらに出てくる。だからタラの芽というのだろうか。そんな駄洒落を思いついた。Facebookに写真を載せたら、天ぷらにしたら美味いと勧めるコメントが多く寄せられた。一人暮らしには、正直に言って天ぷら料理は面...【続きを読む】
「戦場のジーニャ」について
前回からの続きのようにもなるが、2月25日(日)に放映されたNHKスペシャル「戦場のジーニャ〜ウクライナ 兵士が見た“地獄”〜」も凄い番組だった。
番組のホームページにはこのように紹介されている。
[テレビカメラマンだったジーニャ(35)は、不法に占領された領土を取り戻すため前線で戦うことに...【続きを読む】
「実録 マリウポリの20日間」について
わたしのドキュメンタリー好きについては、「ドキュメンタリー好き」(2022年1月27日)にいろいろ書いたが、最近も出色の作品に出遭った。NHKのEテレで毎週放映される「ドキュランドへようこそ」の中で、1月5日(金)と12日(金)、前編・後編の2回に分けて放映された「実録 マリウポリの20日間」がそ...【続きを読む】
形骸化した第二保証人
2020年11月、当時の河野太郎行政改革担当大臣が、行政手続きのうち99%以上の認印を廃止すると発表した。これで効率的な事務の遂行が図られたが、判子の意義はそもそも何なのか改めて役人と国民は認識したことだろう。よくもまあ、こんな無駄なことをやっていたものだと呆れ返っていい話しだった訳である。
さ...【続きを読む】
タンポポという厄介な存在
若い頃、川べりや道端にタンポポが咲いていると愛らしく思えた。自分の家の庭先などにも綿毛が飛んで来て咲いてくれればいいなぁ、と願ったものだった。
タンポポは映画や小説、さらには歌のタイトルになったり、いろいろな団体のグループ名に入れたりする。現在私が所属しているコーラスサークルの名前にはこれがしっ...【続きを読む】
想像力と妄想力
いきなりですが、この画像は何に見えますか?
昨年、当時5歳だった孫娘が遠路はるばる我が家にやって来て、栃木のじいじへのプレゼントとして茶の間で折ってくれた折り紙である。答えは「新幹線」。よく見ると、なるほど新幹線の先頭車両に見えてくる。まっ、親バカならぬ爺バカと言われれればそれまでのお話しでは...【続きを読む】
蜆汁について
バブル経済の余韻がまだ残っていた平成初期の頃、当時の職場では月1回、無料で幕の内弁当を食べることができた。それはこんな理由からである。
幹部がランチを食べながら自分の所属する部門の業務のことについて、毎月定期的に報告し合う10数名の集まりがあった。報告といっても、与えられたノルマの進捗具合や目標...【続きを読む】
紅白の饅頭
令和の年号が始まった6年前の2019年5月1日は、いい天気だったことを今でも記憶している。その日の新聞朝刊には、行きつけのスーパーの折り込みチラシが入っていた。特売のものはないかと、いつものように隅から隅まで眺め始めた。令和に改元され、新たな天皇の時代になったお祝いとして、先着100名だったか、紅...【続きを読む】
世の中を茶化す川柳なのか
私は、自分の趣味が川柳であることを周囲に対してあまり積極的には公表していない。かつての職場仲間、古い友人やご近所の人、川柳以外の趣味仲間などに対して、川柳のおもしろさや詠む楽しさを何かの機会に改まって話すようなことはしていない。そこら辺りはいつも自然体である。無理に自己アピール(要するに川柳の自慢...【続きを読む】
食事はどうしているの?
一昨年の秋に老母が亡くなってからもう1年半になる。淋しくないと言えば今でも噓になるけど、一人暮らしに慣れてきた、飼い馴らされていく自分にふと気づく時がある。気ままに一人で生きていくことのメリットを折にふれて感じる。何かのきっかけで孤独感に襲われることも少なくなってきた。親友である川柳がいつも傍にい...【続きを読む】
センセイと呼ぶこと、呼ばれること
3月31日付けの読売新聞朝刊のコラム「広角多角」(10面)に「刑務所の先生 社会常識とズレ」という見出しの記事が載っていた。受刑者への暴行や暴言などの事件を引き起こした刑務所の問題に対して、法務省は「組織風土の改革」としていろいろな見直しを試みている。受刑者を呼び捨てにする慣行が廃止された話しは承...【続きを読む】
開花狂騒曲について
今年も桜の季節が終わった。陽気の変化がどのようなものであれ、春になれば桜は必ず咲いて満開になる。
気象庁の職員が東京のどこかの公園へ行って桜の木を眺め、その咲き具合で開花を宣言する。これが毎年の風物詩となってニュースに流れる。一体何がおもしろいのか。遅かれ早かれいずれ咲くに決まっている桜の花に対...【続きを読む】
医者の収入のもう一つの側面
「働き方改革」という言葉が定着してきたようである。いろいろな業種のいろいろな職種で改善が図られ、まことに結構な話しである。「3K」などと言う言葉がバブルの頃に生まれたが、少子高齢化・人口減少の時代、労働環境や勤務形態などを見直していかなければ日本の未来は更に先細りになってしまうだろう。
このこと...【続きを読む】
遅刻はしない
齢を重ねてきて、我ながら何につけ遅刻はしなくなったなぁとしみじみ感じている。どうしてだろうと考えてみると、慌てることが嫌になったからであると気づく。高血圧ではあるが、今のところ心臓に大きな持病がある訳ではない。しかし遅刻しそうなハラハラドキドキ感を起こさせる事態はなるべく避けたいのである。焦りや緊...【続きを読む】
年号と西暦について
公的(お役所的)なところでずっと働いていたので、公文書に年月日を記す際には、元号法に基づいて、西暦ではなく年号を使用することがルールだった。両方を併記する場合は、「令和6年(2024年)」というふうに年号を主体にする表記になっていた。40年近くになる現役時代のこの習慣がしっかり身についているので、...【続きを読む】
菓子折りの思い出
30数年前に日本を襲ったバブル経済というのは、今から振り返ってみても実にバカバカしい現象を巻き起こしたものである。民間の不動産屋や金融業のみならず、営利を追求しない公的な団体にまで影響が及んで、おかしな振る舞いがまかり通っていた。そしてバブルが破裂してもその余波はしばらく残っていた。
その頃の私...【続きを読む】
国語辞書編集の限界について
国語辞書をあまり使わなくなった。かつては例会や大会へ参加する際、重くても必ず国語辞書や類語辞典を持ち込んだものだった。今改めて手元にあるそれらを眺めてみると相当の手垢が付いている。もちろん自室に籠って作句に励む場合も辞書は必須アイテム。課題吟ならば、何か発想を探し出す前に言葉のきちんとした本来の意...【続きを読む】
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