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 私は、自分の趣味が川柳であることを周囲に対してあまり積極的には公表していない。かつての職場仲間、古い友人やご近所の人、川柳以外の趣味仲間などに対して、川柳のおもしろさや詠む楽しさを何かの機会に改まって話すようなことはしていない。そこら辺りはいつも自然体である。無理に自己アピール(要するに川柳の自慢話)して、その反動で精神的に疲れが出てきては元も子もない。それと、川柳などの短詩型文芸にそもそもまったく興味がなさそうな輩に川柳のよさを説く気にはあまりならない、面倒くさく感じるのである。
 それでも、何冊かの本を出したり新聞柳壇の選を何年もやっているので、太極拳やコーラスのサークル仲間にも次第に感づかれ、ついに正体(?)が発覚(?)してしまった。
 太極拳の会員には、拙著を読みたいと申し出る者もいたので1冊(「川柳の神様」シリーズのうちの最新刊である「Ⅲ」を)手渡した。そうすると、他の仲間も欲しいということになり、結局は10数名の全員に差し上げることにした。本当に読んでくれるか問い詰めるようなことをするのは野暮で失礼だと思い、何も訊かなかったが、何人かが読んでおもしろかったと言ってくれた(社交辞令でもそれは素直に嬉しい)。
 ところがである。その中の或る1人が、せっかく渡したというのに、1週間後の練習日に返してきたのである。とりあえずは受け取ってもらって、読まないなら処分して構わない、と申し添えたのに返品である。その訳を訊くと「川柳って世の中を茶化すものでしょ。私はそういうのはあまり好きではない」と宣わった。最初の2、3ページは一応読んでくれたようだったが…。
 うーん、拙著のわずか数ページで、川柳は世の中を茶化すものだと改めて認識したのだろうか。内心かなり落胆した。そんなことはない、どこに茶化したところがありますか、と反論する気力もなくなった。かなりのバイアスである。食わず嫌いもここまでくると手に負えない。
 仕方なく拙著は引き取ることにした。いささか悲しい出来事だった。私の作句意欲は少しずつ枯れてきているが、川柳の裾野拡大のための普及活動には自分なりに力を入れている(つもりだったのに…)。しかしこんな経験があろうと、機会があれば懲りることなく川柳のおもしろさを教え続けていきたい。

 



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