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 「失言」の意味を調べると、「言ってはいけない事をうっかり言ってしまうこと。またはその言葉。」と書いてある(三省堂 新明解国語辞典第五版/最新版ではどうなっているかは購入していないので不明)。
 ということは、当人が言ってはならないことを言っただけで、その話しの内容は当人がそのように思っている、信じていることとなる。正しいか間違いかの議論とは別に、敢えてそのことを発言した、その人の信念にも関わってくる。いや信念そのものを吐露したと言える場合もあろう。
 言っていいことなら何ら差し障りはないが、言ってはいけないことを言ってしまったら、たとえそれが真実だとしてもまずいこととなる。当たり前だが、これが世間の常識というものである。
 まずい雰囲気となった場合、その後にその話しを撤回してもすべては後の祭り、覆水は盆に返らずの結末を辿ることとなる。もちろん釈明などをしてうまく乗り切れればいいが、滅多にそんなことは出来るものではない。
 自分の信じていること、正しいと思っていることを素直に話しただけなのに失言と受け取られる。選挙で選ばれた政治家やタレントなどの有名人は、マスメディアの目が厳しく、失言すればいつもつらい思いをすることとなる。ニュース価値のない一般人の話しならそこまでのダメージはない。
 失言は単に本音を吐いただけということも言える。軽口や放言のレベルではない。本音も吐けない世の中なのか、と失言の当人は陰で嘆き憤慨するかもしれない。
 言ってはいけないこととは何か。違法、虚偽、不道徳、差別、蔑視、悪意、煽動、デマなど負のイメージのものがすべて挙げられるだろうが、もし当人にその認識がしっかりとある場合は、物議をかもすかもしれない(メディアに恰好の材料として叩かれるかもしれない、ネットで炎上するかもしれない)と懼れて発言を控えることだろう。それらの意識がないから平気で発言するのである。つまり、発言しても決して悪い事ではないと当人は考えている訳である。しかし世間とのギャップには気づかない。
 自分の思ったこと、信じたことを素直に言えないのも、「言論の自由」の観点から問題であろう。日本は「言論の自由」が憲法で保障されている、などというが本当にそれを信じていいのだろうか。忖度や配慮がまかり通って、言いたいことも言えない、メディアに遠慮しなけばならない世の中なんて、「言論の自由」の精神が一番嫌っていることではないのか。いや「言論の自由」には良識というものが前提となっていると言う輩がいるかもしれないが、良識も結構脆いもので、かなり主観的で曖昧なところがある。
 失言とは何だろうと改めて考えたくなる。正直に話したことは、まずそれに対して素直に耳を傾けてから落ち着いて考え方の違いを議論したい。失言と受け取られてることを懼れ、タテマエだけしか言わない、中身のない上っ面な話しは、嘘つきと同じレベルのものあることに気づくべきである。



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