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 新型コロナウイルスの感染拡大に関する話題は当分続くことだろう。人類はもう元に戻れない次元に入ってしまったのかもしれない。
 こういうことについて素人の私が話せることはほとんどない。専門家や評論家にお任せするほかはないが、新聞やテレビでよく出てくる「持続化給付金」とか「定額給付金」に関連したことなら、少しぐらい話したいことがある。特に後者の方は既に申請して給付を受けている当事者でもあるので馴染みがある。
 さて、これらの申請手続きについては、いろいろと新聞やテレビで報道されている。事務手続きが分かりづらいとか、なかなかお金が振り込まれないとか、ある程度予想されたことではあるが、やはり話題となっている。
 私は、申請、許認可、報告などの事務というものは「事務道」と言ってもいいくらいに技芸として成り立つものと思っている。それはサラリーマンとして公的な団体で40年近く事務員をやって給料をもらっていたので、事務という業務の神髄、要諦を心得ているからである。偉そうに言ってしまったが、毎日パソコンに向き合って電卓を叩きながら文書を作成していたからそれなりの自信がある。パソコンスキルを含めて事務に段位があるとしたら、私は少なくとも初段以上の腕前があると自負している。
 何年か前、地元自治会の会長を仰せつかった。班ごとの持ち回りで任期は1年。役所との連絡調整、補助金を受けての自治会事業の実施など、いろいろなことを手掛けた。事業を行う上では補助金の申請、予算の執行、事業報告などいろいろな事務作業が発生するが、これらのほとんどは書類を作成することが主なものである。正直に言って、サラリーマンの現役の頃に飽きるほど経験したことの延長、繰り返しである。要領やコツは分かっていたので、ほとんど苦労はしなかった。
 今回のコロナ騒ぎの影響で給付や補助を受ける方がいろいろ困惑しているのは、書類の書き方のことだろう。自営業の人は商売人や職人、技術系の方が多いので、事務手続きにについて、書類を書くことに日頃から慣れていなかったりして、勘所がまるで分かっていなかったのではないかと想像される。
 事務を処理するには基本原則がある。それは「理屈を守る」ということである。書類の中の一貫性、申請と報告との整合性、裏付けとなる添付資料の妥当性、数字を記載する場合の盛り込み方のテクニック(ここはいい加減でいい数字、ここはきちんとしておきたい数字の記し方)、これだけは押さえておきたい作文上の言い回し、これらに関する決まりごと(理屈)を押さえておけば苦労することはほとんどない。何故なら、それらのことを役所の人は毎日眺めて仕事している訳であるから、眺めやすいように作ってやればいいのである。
 こんなことは当たり前なのだから敢えて資料の添付は省いていいだろう、この書類にあえてこういう文言は記載不要だろう、などと普通の人なら常識的に思い込んでいることでも、「理屈を守る」原則に照らすとそれは許されない場合が多い。自明のことでも敢えて辻褄合わせを示さなければならない。この感覚のずれが、役所と一般市民との無用の軋轢を生む一つとなるのである。
 技芸の一つになる「事務道」は理屈の体系である。事務のために事務はある。それで役人は日々働いて給料をもらっている。どう考えても大したことではないのではないかという記述や数字についても、そこに1ミリほどの矛盾点があれば敵は絶対に譲ってくれない。書類を受け取ってくれず書き直しとなる。
 国会答弁を見れば分かるとおり、エリート官僚が夜中までかけて作成し、その後該当大臣に棒読みされるシナリオの作成は事務道の神髄となるものである。理屈に理屈を重ね、それが論点すり替えになろうと論理的に脱線しようとうまくやり抜ければその道を極めたこととなるのである。世の中がどう変わろうと、そこだけの世界を確固として守っている。まさに技芸の道の真骨頂である。
 情報通信技術が向上して厄介な業務のオンライン化・システム化が普及すると、事務作業も楽になるが、役人はそれを踏まえて更にややこしく取り決めを作りたがる。これも役所の得意技である。事務作業が合理化されても、それ以上の一般市民には分かりづらい複雑化された決まりが付け加えられてくる。仕事の上に仕事を作るのが役所のやり方である。だから人員削減など一向に出来ないのだろう。
 ついでに言うと、役所は前例に拘って継続性を大事にするが、豹変も得意である。今までやってきた書類作成はなんだったのかと呆れるくらいに考え方を方向転換する。改正した法令が根拠となるという理屈で恥じ入るようなことはない。
 私は、商売人をはじめとする非事務系の人をいつもに気の毒に思っていた。私の父親なども技術系のサラリーマンだったので、何か手続き書類を書く時の真剣な横顔、苦渋に満ちた背中をいつも見ていた。
 最後に、今回の騒ぎでテレワークの良さが認識されたが、事務にも不要な押印はやめようという風が吹き始めたようである。判子は判子のために押すのがその目的のほとんどである。だから押印に疑問を持つことは野暮な話しだった。この世から8割くらいの押印は廃止できるのではないかと私は以前から思っていた。事務は事務で食っているのだから、判子だって判子のために判子があること(何かリンカーンの有名な言葉の真似みたいだが)を事務員はまったく疑っていなかったのである。

 

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