川柳などをやるような人間は、何につけ世間とのズレを感じているからそういう趣味を持つのではないかと思っている。ズレがなかったら、五七五を詠んで自己表現するようなことはしないのではないか。少なくとも私はそのような人間なのである。
人間や社会への認識について、世間や他人との違和感を感じることは誰でも経験することであろう。ほとんどの人間が当たり前にそう思っている、感じていることに対して自分一人はそうではないとなった場合はどうするか。孤立感を感じてしまったら、自分の考えを人前で表明することについて躊躇いを持つのではないか。自分一人の意見をきちんと表明したり、素直に感想を述べたりできるかというと、そういう行動は実際にはなかなか出来ない。自分の方は黙ってしまい、世間とのズレはズレのままで妥協しながら人との関係を保っていく訳である。
しかしズレをそのままにしておくと自分の中にストレスが溜まっていく。私はこの捌け口として文芸的な世界を求めたくなった。他人からどう見られようと自分はやはり自分であるということを改めて認識するような表現行為が、私にとっての川柳という文芸である。この行為が上手くいってくると、私の作品について思わぬ方からの共感が届いたりすることがある。こうなると味をしめて、川柳は止められなくなる。今でも続いている訳がここにある。
うーん。 なるほど❗ ウン、ウン。
久しぶりのコメント、どうもありがとうございます。
このズレは大した代物ではないけど、死ぬまで抱え込んでいくのかなぁ…。