年末は「師走」と表記する。
しかしなんだ、「師」でなくとも「走る」んだよね~
この週末から月曜にかけて、職場の食事会、句会の忘年会、父親の一周忌、と
日々ほぼ完全燃焼が続いた。
とにかく、来年のことは考えないで、瞬間に集中する!それが大事。
「師走」の過ごし方である。
もちろん、僕は「師」なんかじゃないけれどね。
先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし
という手垢のついた慣用句があるけれど、
先生と呼ばれるほどの御人好し
という「大馬鹿」が居ることも確かで、
川柳関係者(川柳作家および愛好家を指す)にとって、哀しいほどに「人間」である「魅力」をまき散らしているわけです。
さて、日曜日に開催しました「池袋川柳会」通称「いけせん句会」
平井煕さんが代表で、研鑽を重ねておられる。
僕は、講師を拝命しております。
仕事の融通が付く時は、まずこちらの予定を入れることにしています。
僕の川柳観は「何でもあり」です。
この世に存在するものは、存在しているという事実において、その「存在」を否定することはできません。
だから、全てを受け入れ、肯定します。
しかし、過去に詠まれたもの、広く慣用的表現となっているものは、選考の対象にはしません。
評価・鑑賞の対象にはなりますが、競吟の選出対象にはならないのです。
そのことを、直接的に語ると、これから川柳を始めてみようかな、と考えている人に、大変なプレッシャーを課してしまいます。
だから、そういう物言いを、僕はしません。
どんなにありふれた表現でも、数百年の歴史の中で、初めて使われた時代が存在します。
「その時代なら、一世を風靡した表現だと思いますが、現代では詠み尽くされていますので、今回は、選出に当たりませんでした」
この一言で良い。10秒も掛からない、この一言が居える人がどれくらいいるだろう?
「会長」や「主幹」まぁ、何でもいいけれど、肩書きのある人には、そこまで受け止める深さと、覚悟が欲しいものだ。
話が飛んだが、川柳マガジン誌上に、池袋川柳会の会員の方々の名前が、いくつも掲載されている。
まだ、第一歩という印象だが、来年から再来年にかけて「池袋川柳会」会員の皆様が、
川柳マガジン始め、方々の句会、柳誌において、
相当な比重を占めることになるのではないか、と予言をしておこうと思う。(帆)