新婚よ生産性へ腰を振れ 帆波
僕の中で、この一年を振り返ったときの、会心の一句です。
この作品、「川柳マガジンクラブ東京句会」の句評会と、
僕が講師をしている「池袋川柳会」の互選作品、に提出した。
どちらも既発表句可で、様々な意見を交換できる。
「腰を振れ」の部分を「下劣」だと捉えられれば、この作品はそこまでなのだけれど、
自由民主党の議員、杉田水脈氏が月刊誌に寄稿した文章に対するアイロニーとして、
考察・推敲の上で、この表現を選んだ。
子を産むことが生産性というのは、乱暴すぎるし、感覚がレガシーというか、アナクロだと感じた。
一億火の玉とか冠して、産めよ増やせよ。
その子たちは、爆弾を抱えて突っ込んでいった。
自らの死が、家族の生へ転換することを信じて。
そんな精神性は、現代において八割はナンセンスだと思う。
自身の能力の、あと一歩を絞り出すために、自らを鼓舞するために、二割くらいは意味があるかもしれないが、ほぼナンセンス。
自分以外の、生き残った人間が、おかしなことをしても、発言することも、行動することも、何もできないのだもの。
人は、楽しく生きた方が良い。
その昔、女性は子を産み育て、家事をこなし、時間で労働し、家計を、家庭を維持し継続させてきた。
バブル崩壊後の「失われた」といわれる二十数年において、女性の生活生産性が、どれだけ酷使され、軽視されてきたか。
逆に「女は、女は、」と蔑んでいた男性は何をしてきたのか!
喪失した自信に埋もれ、いじけてきただけではないのか?
僕の年齢(五十過ぎ)で、何の資格もない人間が、正規の雇用を受けられることは、まずない。
非正規、アルバイト、パートナー、パートタイマー、
それでも、請われるなら、御の字である。
そのような雇用形態の現場では、女性の比率が高い。
彼女たちの、パラレルな能力と、物事に対する突破力の凄さ
正に脱帽である。
しかし、三つ、四つの職をシェアできれば、そこそこ食べていけるけれど、家庭がある女性はそこまでは無理で、微妙な時給に甘んじるしかない。
そんな現場で、時折見かける、オッサン達の能力の低さには、呆れる場面が多い。
「皿を洗う」「机を拭く」「ごみを分別する」「床を・トイレを掃除する」
こんな、当たり前のことが、採点すると30点くらいしかとれない、オッサンがどんな多いか。
女性の有能さを目の当たりにしていると、女性の国会議員が少ないことが、不思議でならない。
たぶん、オッサン達が、勝てないから、女性を避けているのだと思う。
男たちよ、知るがいい。
君たちが、いじけている二十数年の間に、女たちがどれほど辛苦を嘗め、パラレルに物事を処置してきたかを
その力の総体が、この国を維持してきたかという事を
生き難いと感じる人々が、生きていてよかった、と思える世の中を作るのも、政治の仕事だろう。
だから、あえて、推敲を重ねた。
結果「腰を振れ」という剣を表すことにした。
この作品を、取り上げることの出来るメディアは、今、存在しないのではないか?
そういう思い、穿ちも含んでいる。
新婚よ生産性へ腰を振れ 帆波
は破礼句では、無いのですよ。
こんな自句自解が、可能な句会。
僕が関わる句会は、そういうものでありたいのです。(帆)