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 定年で仕事を辞めると、毎日朝からテレビがじっくり観られる。大体チャンネルを回すのは、報道番組や情報番組などである。平日の昼間の時間帯はそれしかやっていないということもある。
 MCのアナウンサーやタレントなどがうまいように仕切っているが、政治や経済の話題、日々起きるいろいろな事件について、必ずコメンテーターという出演者がいて何かを話す。大学教授、評論家、ジャーナリスト、元政治家、タレントなどのいろいろな立場からのコメントは、なるほどうまく論評しているなあと感心したりするが、大方は事前の打ち合せに基づくシナリオのとおりなので、その発言の内容は無難な模範解答を述べているものが多い。このコメンテーターなら、こういう発言をするだろうということがある程度は予想がつく。だから面白味がない。言葉だけの空虚な印象を持つこともある。饒舌に喋れば喋るほど中味の薄いタテマエ論に終わっているケースをよく耳にする。その場で聴いている限りはいいが、後になって振り返ってみると、極めて当たり前のことをもっともらしく無難に話しただけのことだと判って、バカバカしいと思ったりすることもある。喋ってなんぼの世界は、噺家や漫才師と同じある。もちろん、噺家や漫才師の方が遙かにおもしろい。
 これらの番組を観ていて、次第に当たり障りのないコメントのオンパレードに飽きるようになってきた。人生も60年を超えて生きていると、社会で起きているいろいろなことについて、他人のごもっともな意見とは別に自分の頭で自分なりに考えたくなってくるのである。野球やサッカーなどのスポーツ中継で、解説がうるさいと感じてわざわざ音声を消してテレビ観戦する人がいる話しを聞いたことがある。私も自分で得た知識と自分なりの経験で物事の是非を判断したくなってきたのである。毎朝捲っている新聞も批判的に読み込んでいこうと努力している。
 もういい歳である。他人の意見やコメントに左右されるほどの思考の柔軟性もなくなってきたが、逆に言えば、他人からどう言われようと変えたくない信念も膨らんできた。頑固と言われればそれまでの話しではあるが覚悟はしている。
 SNS社会となって、既に一億総コメンテーター時代が来ている。他人の話しを聞きながらも並行して自分の意見を自分なりにしっかりまとめていないと、社会の雑音に振り回されて損をすることもある。情報に溢れている社会だからこそ常に自分の考えの軸足をきちんと確保しておく。そうことが大切な世の中になってきたようだ。



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