「唯物論」をウィキペディアで調べると、以下のような書き方で始まっている。
「唯物論(ゆいぶつろん、英: Materialism、独: Materialismus)とは、 観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方。対義語は唯心論(ゆいしんろん、英: Spiritualism)で、精神のほうが根源的で、物質は精神の働きから派生したとみる。」
私には残念ながら唯物論全体を詳しく説明する力はないので、あまり知らない方はこのウィキぺディアの文章の続きやほかのページを検索して読んで理解していただきたい。
マルクス主義と言えば唯物史観が有名であるが、これは唯物論的な歴史観をさす。学生時代にそこら辺りは少し齧ったことがあり、概念的なことは今でも理解していると思っている。
さて、何でこのような話題を持ち出してきたかと言うと、インターネットの普及であまりにも情報に溢れた社会になってくると、私の頭の中では素朴にかつ冷ややかに唯物論の考え方が恋しくなってくるのである。もっともらしい情報の洪水の中で溺れそうになりながら生きていると、すべては物質に還元されてしまうことの意味を改めて認識したくなり、物質がすべてと思いたくなるのである。
情報って何だろう? ほとんどの情報は無くても構わない無駄なものばかりではないか。言論や表現の自由が憲法で保障されながら、一人一人が情報過多に振り回されて生きている。怪しい情報に騙されたら、そうなった方が負けなのかもしれないとも怯えながらこの情報化社会を生き抜こうとしている。変な喩えだが、物質に還元できるような骨太の情報だけを信じていればいいのに、そううまく情報の選別はできない。かつてはデマ、今はフェイクなどというが、そういったものに騙されないためには大変な知的労力が必要となる。賢く生きていかないと駄目ということになる。
もう一度きちんとした情報化社会を構築し直すことはできないだろうか。パソコンやスマホの機械打ち壊し運動が起きる訳でもあるまいし、もう元に戻ることはないのだろうか。
柏手を打って何にも考えず 博史