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 いろいろな商品やサービスに対する顧客満足度調査というのがある。その回答の選択肢として、1.大変満足、2.やや満足、3.普通、4.やや不満、5.大変不満、というような言葉をよく目にする。
 1の「大変満足」は約8割以上は満足していると解釈していいだろうか。これは問題ない。
 2の「やや満足」の言い回しについて、私は兼ねがね疑問を感じていた。「やや」なら約2、3割程度の満足感なのかと言いたくなるのだ。そうするとこれは裏を返せば約7、8割の不満があるということになる。
 3の「普通」は可もなく不可もない満足感とした場合のことだろう。
 4の「やや不満」は、2と同じく「やや」なら約2、3割程度の不満足を感じていることなのか。これも裏を返せば約7、8割の満足感があるということになる。
 5の「大変不満」は約2割以下の満足感しかないということでいいだろう。
 以上の私の講釈を理解してもらえれば、この言い回しによる5段階評価は凸凹したものと受け取れるだろう。選択肢の並べ方は、「大変満足」「やや不満」「普通」「やや満足」「大変不満」の順が妥当だと言える。
 そうならないのは、例えば1は100~81点、2は80~61点、3は60~41点、4は40~21点、5は20~0点というような点数評価を暗に想定しているからではないか。しかし、満足度などという極めて主観的な感情・感覚を客観的な尺度、それも81点と80点、61点と60点とかの1点刻みで線引きするなんて、どう考えても無理がある。そして中間の選択肢が60~41点というのも、良いのか悪いのか、何かスッキリしないものを感じさせる。しかし、日本人の曖昧な意思表明として「普通」という単語は実に重宝がられている。良いか悪いかの直接的な意思表示を取り敢えずは留保するようなところがある。そのことを言っているのが点数化された60~41点という範囲か言えば、素直に納得しない方もいるだろう。普通は普通であり、あまり点数化されるものではないというイメージを持っているからである。そうなるとさらにややこしい。
 5段階評価とは関係なく、一つの文章の中で、単に「やや満足である」と言われたら、少しだけ満足してかなりの不満が残ったと解釈しても、曲解とは思われないだろう。
 日本語は難しい。日本語は面白い。文脈の中で言葉の意味付けが見事に変わる。学生時代に読んだスイスの言語学者ソシュールの学説を思い出した。その考え方について私にはもう他人にうまく説明できるほどの知識は持ち合わせていないが、とにかくインパクトのある意味論だった。
 一応簡単に説明すると、言葉の意味づけというのは二つの角度からの切り口がある。一つは文脈というタテの関係性の中で決められ、もう一つはその言葉以外のすべての置き換えられる言葉とのヨコの関係性で決まるという考え方である。当時学生だった私には驚嘆すべき理論だったと記憶している。
 下手でも一応例文を挙げて更に続けて説明してみると、「私は昨日時間つぶしに近くの本屋へ行って漫画本の立ち読みをした」という一つのセンテンスがある場合、この中の「昨日」という言葉の意味は、文脈の中の「私」「時間つぶし」「近くの本屋」「立ち読みした」などの前後に関係する言葉によって意味が固められる。さらにその前後にあるセンテンスにも影響される。また「昨日」は、「一昨日」「明日」「3年前」「1万年前」などの他に置き換えられるすべての単語との関係性によって意味が固まってくる。言葉の意味は辞書に載っているものだけではない。辞書の定義は当たり障りのない説明であって、実際に使われた場合にはそれ以上の意味が使われた場面の中で付与されている訳である。
 話しを戻して、満足度の評価に4段階評価のものを設定することもできるが、これはある意味で収まりが悪い。4つの評価項目だと中間領域がないので、結果的に良いか悪いかの白黒を決着をつけざるを得ないからである。何事につけ、良いか悪いかの白黒を一々つけるというのは、時と場合によっては日本人には息苦しさを感じる行為だと言えるからである。曖昧性は日本人の美徳の一つなのである。

 

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