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 公園や神社仏閣の境内の一角によく石碑が立っている。私はそれらを見つけると、取り敢えず何が書いてあるのか、表のみならず裏にも回って眺める習慣がある。
 戦死者を慰霊する忠魂碑とか彰忠碑とか呼ばれるものをよく見かける。戦死者と言っても日清、日露、大東亜戦争などいくつもの時代の移ろいがある。シベリア出兵(大正時代)で亡くなった方の石碑も見たことがあるような記憶がある。田舎の方に行くと、出征軍馬の石碑もよく目にする。
 日清・日露戦争の石碑は明治時代にまで遡り、漢文調で書かれているので何が何だかほとんど分からない。しかしそれなりに眺めると、いくらかは理解できるところも出てくる。そして大東亜戦争となると、戦死者の数が一気に増えてくる。一際大きい石板にたくさんの名前が刻み込まれている。いかに悲惨ですさまじかったかを石碑も物語ってくれているのである。
 田舎道を自転車に乗って走っていると、開墾、土地改良の竣工を記念した石碑もよく見かける。無事に山林を開墾し、農地が改良されたことへの安堵感が滲み出ているようである。大半が戦後のものである。
 道端で庚申塚や道祖神、五輪の塔も見つけたら止まって立ち寄る。これらは古いものばかりで、建てた年代などさっぱり分からないが、どうしても眺めて、風雪に耐えてきたことに少しでも思いを馳せたくなるのである。
 古いお寺には、江戸時代の頃か思われるような句碑や歌碑などがある。その頃の石は御影石ではなく砂岩が多い。昔は動力源も機械もなかったので、比較的軟らかい砂岩を用いて浅く手で文字を彫っていたようである。だから風化しやすい。それに草書体で書かれているものがほとんどなので私にはそもそもが読みづらい。
 野墓地などに戦死者の墓標が一際高く建てられているのをよく見かける。これはすぐ分かる。戦死者だから敢えて目立たせているのだろうか。それが一般的なやり方だったとはいえ、遺族の強い意思が感じられるようである。
 ある時一人でサイクリングしながら、農家の広い庭の隅に大谷石で建てられた、おそらくご先祖の戦死者の方だと思われる石碑を見つけたことがある。道に面していたのでよく眺めてみると既に文字が読めないほどに風化している。宇都宮で採掘されている大谷石(凝灰岩)に彫られていた。大谷石は火には強いが水に弱い。石碑にすると、それほど歳月が経過していなくても雨水で風化しやすい。
 別のところで発見して驚いたのは、ステンレスか何かに戦死者の遺影を焼き付けて墓石に嵌め込んであるものを見た時だった。これも農家の庭先だった。このような形にしてまで保存し伝えようとするには、残された親兄弟におそらく相当の思いがあったのだろう。
 ある時東京の有名なお寺に行った。本堂は鉄筋コンクリート造りになっていて立派である。境内にはいろいろな石碑や石塔が建っていた。江戸時代からのものが並び、それらの裏に回ると、建てた年代、寄進した人の名前などが刻まれていた。更に本堂をぐるりと歩いて裏の方に行ってみる。今度はいくつもの石碑が倒されて横たわっていた。いかにも邪魔になってこれから処分するように寝かせられている。どれも砂岩に彫られた古いものばかりである。ぞんざいな扱いに興醒めする思いがした。
 私の作品が記された句碑が二基ある。一つは岡山県笠岡市の古城山公園に平成19年5月建立された「八月の空戦争は嘘ばかり 博史」(白御影石)で、井笠川柳会の誌上大会蘖(ひこばえ)で天位になったものである。もう一つは群馬県太田市のさくらロードに平成21年11月建立された「改めて我が町を知る定年後 博史」(黒御影石)で、太平記の里全国川柳大会の最優秀句になったものである。いずれも相当拙い私の筆遣いで彫られている。前者は、東京から格安夜行バスに乗って倉敷まで行き除幕式に出席した。たいへん疲れたことが記憶に残っているが、50歳前後のことでまだ若かった。後者は、81歳で亡くなった親父が寝たきりで要介護になる時だったので、あまり喜んでもいられなかった。嬉しくも気持ちがいささか暗かった。亡くなったのは、その後2か月経った1月の寒い時期だった。
 この二つの句碑を建てていただいたのは、日頃から石碑巡りすることが好きであることへのご褒美なのか、だからそんな僥倖に巡り合えたのだろうと有り難く思っている。

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