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 大学では一応西洋哲学を学んだが、学生時代に乱読した本の影響がその後の人生に大きく関わっていることは今も感じている。
 40歳を過ぎてからだったと思うが、自然と対峙して思考する西洋思想というものは、西洋(欧米)という極めてローカルな地域のものの考え方で東洋思想やインド哲学ではそのような形をとらないことに改めて気がついた。バブル経済が破綻して、グローバリズムのいやらしさ(欧米の強欲なメジャー資本による世界支配など)に気づいたことも影響している。
 仏教において「苦」とは自分の意にならないことをいう。このことを学んだのもその頃だった。恋愛も病気もお金のことも、自分の将来や家族のことも、さらに家事や子育だって、つまりこれらを含めたすべてについて悩んで、時として苦しいと感じるのは自分の思うとおりにいかないから苦しいのである。思いどおりにならなければ、すべては「苦」という一つの観念に収斂されるということになる。ならばどうするのか。まずそれをそのまま素直に受け入れてしっかり認識するのである。そこから始めないと苦からの脱却は望めない。これが仏教的な解決方法である。
 この考え方に基づいて、私なりに思いついたものが一つある。
 仮に自分の不注意で何か熱いものに触れて指先を火傷したとしよう。大概はすぐに冷たい水をかけたりして対処しようとするが、手遅れとなってやはり痛い、疼く。その時、自分は確かに自分の不注意で指先を火傷したのだということを素直に受け入れてみると、その痛さ、疼きが一時的に少しでも引っ込むことを感じる。切り傷、擦過傷などでも同じである。最初はびっくりして痛がるが、観念して受け入れてみると、いくらかではあるが痛みは収まり出す。受け入れないで痛みに抗っていると痛みはなかなか収まらない。「痛さ」とは何だろうかと改めて考えたくなる場面に出くわすこととなる。
 実際に私はこれを体験した。私の考えでは、肉体的な痛みには生理的なものをベースにして心理的なものがプラスされているのではないか。観念して痛みを受け入れると心理的な部分が軽減されるのだと理解した。
 苦に対するこういう発想のものの考え方は西洋哲学にはあまりないものだろう。そんな訳で、現在の私は、言葉と言葉が格闘するのが西洋哲学、哲学イコール言語哲学だと冷ややかに理解している。

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