2024年8月27日に「ウェットアイと白内障 」を書いたが、目薬のことについて困惑したことを改めて書いてみたい。
 白内障の進行を抑える点眼薬は毎日6回両眼にさす。この6回の習慣を身に付けるのがなかなか面倒だった。目に差すたびにメモ用紙か何かに「正」の字を一画ずつ書き込むようなことをしないと回数を守れない。
 日中、外出するような時にいつも忘れてしまう。出先で人と会っているような時間は要注意である。なるべくその前後に差すようにする。トイレに入った時などがいいタイミングとなる。
 ところが高齢者となると、認知機能の衰えも進行してきて、何回目の点眼なのかの記憶が飛んでしまうこともしばしばなのである。これで情けない経験を繰り返した。
 独り暮らしも慣れてきたので、毎朝布団から起きてからのルーティーンも大体はスムーズに流れていく。顔を洗って髭を剃り、仏壇の水を取り替えてお線香を1本上げることから一日が始める。郵便受けから朝刊を持って来る。お茶を飲むお湯を沸かす。味噌汁を作る。牛乳を温めて飲む。洗濯物があれば、風呂の残り湯で洗濯機に漬け置きする。こんな流れの合い間に1回目の点眼を行う。
 納豆や目玉焼きなどで簡単に朝食を済ませると、お茶を飲みながら新聞を丹念に読み始める。大体その時間に1回目の点眼をしたかどうかの記憶がなくなっているのである。さしたはずだ、いやまださしていない。そんな疑問が脳裡をぐるぐる回っている。若い時分なら何とか思い出せるのに、もう年齢的に無理になってきているようだ。
 そんなこんなの一人芝居を何度もやっていて、ある時、こういう決まり事を作った。1回目の点眼は仏壇に線香を上げたらそうするようにしよう。そして、その後に目薬は何か所定のところに置くようにする。そうすると新聞を読み始める頃に、点眼したかどうかで迷ったりしない。ふと気がついて目薬が所定のところに置いてなかったら、まだ1回目が済んでいないことが判る。
 2回目はパソコン画面に向き合っている10時前後、3回目はお昼を食べた後、4回目は散歩やサイクリングから帰ってからと、点眼行動をパターン化するよう思いついた。これで、外出せず家にほとんどいる時の点眼は6回を概ね遵守できるようになった。
 一応の点眼習慣が身に付いたのだが、1回目がやはり危なっかしい。実を言うと、40代の頃から、朝に目覚めてからしばらくは頭の中がまだすっきりしていない所為か、妙なへまをやらかすことがよくあった。朝食時お椀にご飯を盛って、お茶碗に味噌汁をよそってしまう、そんなことがしばしばあった。お玉やしゃもじを持って直前で気づきギリギリセーフの時もあったが、やってしまってから「ありゃっ!」と内心驚くのである。その度に少し情けなくなったものだが、頭がぼおっとしているのは確かなのだろう。
 だから目薬の1回目も目が覚めて1時間も経過していない時間帯なので、朧げの記憶になってしまうのである。記憶を辿って、目頭が滲みたその日初めての感触を呼び起こせれば問題にならないが(多分若かった頃はそれが出来たはずだ)、齢を重ねていくとあまり時間が経っていないことについての記憶が巻き戻せない。これには日頃からそういう経験をするたびに心の中でため息をついているのである。たかが目薬、されど目薬。1日6回となると、トホホの情けなさを感じるノルマなのである。
 ちなみに朝食後に1錠服用する血圧降下剤でも同じような経験をしていた。これは朝食後何が何でもすぐに呑むことで何とか対処できている。いずれはお薬カレンダーなどというものも他人事ではなくなってきているだろう。再びトホホ。
 最後に「逢魔(おうま)が時」という言葉を思い出した。私の場合、朝起きてからの1時間程度がこれに当てはまるような気がする。大袈裟な言い方になるが、夕暮れ時より日が昇り始めてからが要注意なのである。
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