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 牡蛎(かき)で食あたりした経験がある。今でもはっきり憶えている。
 30代の後半だった。急患室の電話当番という夜間業務が当時の若手事務員に月1回程度課せられていた。それに当たっていたある日、深夜に腹痛を起こした患者からの連絡があった。当直医が受診してもらって構わないということだったので来院することになった。
 患者は一通りの診察を受けて薬を処方してもらい、無事に帰宅した。診察後に知り合いの女性臨床検査技師(やはり当直)にたまたま出会って、ちょっと立ち話をした。その際に、その技師がこんなことを言ったのである。「さっきの患者さんは牡蛎にあたっていたみたい。牡蛎にあたると熱はあまり出ないのよね。そして症状も1日ぐらい置いて現れるから、何で下痢になったのかその原因に気づかないことが多いのよ。実は私も経験したことがあるわ」
 何気なくその話しを聞いて、そのままその場は終わったのだが、後日、私も数年前に全く同じような経験をしたことを急に思い出したのである。
 それは職場の後輩と縄のれんの居酒屋で飲んだの時のことである。金曜の夜だった。仕事の愚痴などをお互いこぼし合って盛り上がり、二人で差しつ差されつ結構飲んだ。料理もいろいろ注文して食べたが、その中に酢牡蛎があった。栃木は海なし県なのでこういった海鮮料理は滅多に食べられない。多分その前に食べたのは、更に10数年遡ってまだ20代の頃だっと思う。当時の上司に誘われて入った懐石料理の店で生まれて初めて生の牡蛎をご馳走になった記憶が残っている。場所は宇都宮だったが、高級なイメージのする店だった。
 さて、居酒屋の方は飲み終えて夜中に一人タクシーで帰宅した。翌日の土曜日は何も異変はなかった。そして翌々日の日曜日。午前に地元の図書館で「となりのトトロ」の無料ビデオ上映会があった。まだ小さかった娘と一緒に視聴する約束をしていたので、予定どおりに出掛けた。
 液晶プロジェクターで放映されるスクリーンを眺めながら、何か怠さを感じていた。微熱もありそうである。映画を観ながらも自分の体のことが少しずつ気になり出し、「となりのトトロ」を楽しむどころではなくなった。一昨日の居酒屋での深酒でちょっと風邪でもひいたのかもしれないなと、取り敢えず自己診断した。まだ若かったので、軽い症状の風邪なら薬も呑まず何とか気力で回復させてやるという、変な根性を当時は持っていた。
 家に帰って体温を測ると37度前半だったので、横になる訳でもなく普通に過ごした。他方で少し下痢気味でもあった。私は下痢をしてもあまり深刻にはならないタイプなので、今回も1日や2日で大体元に戻るだろうと、いつものように高を括った。下痢止めの薬などは余程のことがない限り服用しない。だが、その時の下痢は些か長引いて数日続いたと記憶している。そのうちに、いつものように何とか治ったのである。
 でも自分なりに不思議に感じた。風邪なのに熱が余り出なかったのはいいとして、何故下痢したのだろうか。風邪で下痢が伴うような経験はしたことがなかったので、ずっと気になっていたのである。
 そして、あの時の急患室で技師から聞いた話しである。記憶の点と点がつながって思わずハッとなった。数年前に微熱と下痢が続いたのは風邪ではなく、あの居酒屋で食べた酢牡蛎にあたった所為なのはほぼ間違いない、と。その居酒屋は手軽な料金でいつも賑わっていたが、あの時の牡蛎はいつ仕入れたものだったのだろうか。うーん、疑念が俄かに湧いてきた。いずれにせよ、牡蛎で食あたりした経験の推理も大当たりの結末となった。
 という訳で、下痢に懲りてもうそこの居酒屋には行かなくなったかというとそうでもなく、相変わらず同僚などと飲みに行き、酢牡蛎以外は何でも注文して食べよく飲んだ。店主に、酢牡蛎であたった、などとわざわざ話すようなこともしなかった。ただしそれ以降、どこの店であろうと牡蠣鍋などを食べる際にはしっかり火を通してから食べるようにしている。酢牡蛎や生牡蠣は高級そうな店以外では手を出さない。これが今も続いている。内陸県での生の牡蠣の食べ方は要注意なのである。
 以上、牡蛎にまつわるどうでもいいような推理ドラマ仕立ての話しであった。



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