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 三十代の頃、職場でAIA研修というものを受講した。AIAとは、英語の「Adventures in Attitudes」の略称で「心の冒険」や「心のアドベンチャー」と訳されている。もう30年以上も前のことなので教わったことのほとんどが忘却の彼方へ行ってしまったが、その後の生活で役立っていることが今でも一つある。
 人と人が議論をする場合に、お互いの目の高さによって有利・不利が生まれるという考え方である。実際の研修でやったことは、子育てはスパルタ方式がいいか放任主義がいいかという対立するテーマを出され、二人の受講生が向き合い、それぞれの立場で行った議論(ディベート)だった。一方が椅子に座り、もう一方が立ったままの状態である。スパルタと放任のどちらかの立場を選んでも、議論は立った者の方が必ず勝つ。テーマを入れ換えたり、立つ座るを交代しても結果は同じだったのである。これは実際にやってみて驚きの発見であり、非常におもしろかった。
 その後、ホスピスのことを学ぶ機会があったが、ターミナルケアでは、医師・看護師は患者と同じ目の高さで会話していることを知った。ベッドで横になっている患者の目と水平な位置に医療者は自分の目を合わせて傾聴するのである。
 一般的に親が幼児を叱る場合などにも、一旦は上から目線でそうするが、宥めて諭す時になると、親は膝を曲げて頭を低くし、自然と水平の目線に変える。これもホスピスの考え方に通じることであろう。
 かつて上司との関係でこんなことがあった。業務の進捗報告があって、その席まで行って経過を説明し始めたところ、どうも納得しないところがあったようで、途中から上司の方のテンションが上がり始めた。こちらとしては決して挑発するような口のきき方をしたつもりではなかったのだが、終いにはその上司は、わざわざ立ち上がって発言し始めたのである。AIA研修のことを思い出して目の高さが重要であること、いくら上司とは言え、座った位置での目の高さは私の胸元あたりなので、テンションを上げるにもやりづらくなって立ち上がったのだなと、その場で理解した。
 目の高さが違うということは、議論だけでなく一般的な会話でも重要だろう。少しぐらいの身長差だったら気にならないかもしれないが、かなり違うと対等な意見交換は難しくなる。建設的に話し合おうとしてお互いが改めて椅子に座るということをしばしばするが、目の高さを調整するという意味合いがあることに気がつく。
 かつて私はこんなくだらない実験をした。ある知り合いの家を訪問したら、玄関先に鎖で繋がれた犬がいてこれがよく吠えた。私を見つけたら吠えっ放しである。おそらくその犬の頭の中で警戒注意報が最大限に発令されていたのかもしれない。ふと思いついて私は蹲踞し、目の高さをその犬より敢えて低くした。そうしたらその番犬は、何故か明後日の方を向いてバツが悪そうに弱々しく鳴き始めたのである。なんか勝手が違うぞと思ったらしい。犬と人間との間でも目の高さは重要であることを思い知った次第である。

 



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