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 新型コロナウイルスの感染はまだまだ油断できない事態にあるが、いずれ少しずつ総括されていくことだろう。諸外国や国内の対応について、ここで専門外の私がコメントや批判をしても重みがなく面白味もない。そもそもその資格もない。この先学識のある方の根拠に基づいた総括がいろいろ出てくるであろうから、それらにみんなが耳を傾ければいいだけの話しである。
 世の中や自然界には分からないことがたくさんある。だから社会科学や自然科学という学問がある。
 新型コロナウイルスは、現代人が初めて出遭った対象で未知の部分がほとんどである。これからさらに究明されて、正確な対処法がいろいろと出てくるのだろうが、今は現在進行形。コロナに対する医学を含めた自然科学的知識は日々更新され、経済的な困難への対策も社会科学的に検討が重ねられている。
 人間の知性は、分からないことを分からないままにしておく、分からないものを分からないものとして受け入れることができない。コロナについては、感染者数・死亡者数の動向等の感染状況を踏まえながら最新の知見を得て、医療対策、経済政策が進められ、世界中が何とかしようと頑張っている訳である。人類がお手上げになるなどということはあり得ない。
 「3密」「ソーシャルディスタンス」「フェイスシールド」などの新しい言葉が広まって、コロナに対する衛生的な概念が構築されていく。その集大成といったら大袈裟であるが、専門家会議からの提言(5月4日)を踏まえて「新しい生活様式」が厚生労働省から発表された。生活様式は英語で言えばライフスタイルであるが、マナーやエチケット的なことまで含まれている。これらのことについて、どこまでが有効なのか、どれくらいの効果があるのか、そういった疑念を持つことは野暮なことであり、不謹慎ですらある。
 何故なら、それはあまりに道徳的なことであるからである、科学的に検証しようとしても現段階では限界があるから、取り敢えず正しいと判断されているスタイルに基づいて日常生活を送りなさいという道徳的な指示・指導になる訳である。道徳に明確な根拠や理由などはない。理屈を捏ねて逆らうことは反則行為である。道徳的なことは道徳以上でも以下でもない。だから同調圧力とか自粛警察が自然発生的に現われたのも仕方がないとも言える。
 いつかはほとぼりが冷めてコロナ対策を検証・総括する時期が来る。それはもちろん科学的になされるだろうが、個々人の行動は道徳的に律されていたのでうまくいかなかったことも多く指摘されることだろう。しかしだからと言って、政治家や専門家を含めて誰かを徹底的に非難するような検証・総括の仕方はよくないと考える者がいるだろう。大きな失敗もなくみんな一生懸命頑張ったのだからそれはそれでいいのではないか、そう道徳的に考えるはずである。特に日本人とはそういうふうに素直にものを考えたがる。若干の皮肉を込めて言うが、「新しい生活様式」の道徳的な意義は大きい。

 

 

 

 



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道徳的な、あまりに道徳的なコロナ”にコメントをどうぞ

  1. てらさな on 2020年7月21日 at 7:21 AM :

    面白い視点ですね😄
    逆に海外はどうなんでしょう?口元隠すのマナー違反なので、コロナが道徳的でいられないのでしょうか?コロナ対策に関するファクターXの一部かもしれませんね。

  2. 三上 博史 三上 博史 on 2020年7月27日 at 9:19 AM :

    ありがとうございます。
    科学的、医学的、疫学的にコロナを説いても、所詮は心がけ次第、そういう要素は最後まで残る、いや最後に残るのかもしれません。それが「新しい生活様式」なのでしょう。
    快食快眠、酒の飲み過ぎ、チョコレートの食べ過ぎに留意して、仕事にも家庭にもほどほどに頑張ってください。(笑)

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