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 私の卒業した高校は男子高で、一応は進学校だった。それなりに授業は厳しかったが、化学のM先生の時はきついシーンがたびたびあった。一通り黒板を使って教科書のことを説明した後、きちんと理解できたかどうかをみるために指示棒で適当に生徒を指名して質問するのである。生徒が答えられなくて黙っていると、強い栃木訛り・イントネーションで(U字工事の漫才を思い出して欲しい)「早く喋れ!」と厳しく促す。出来の悪い私はいつも戦々恐々としていた。
 ある時、私と同じように出来の悪い隣席の生徒が何気なく「『喋る』の命令形は『喋れ』じゃなくて『喋ろ』じゃねえの?」と栃木弁で呟いた。どうでもいいようなことをよくこんな時に言えるものだと内心呆れていたが、ずっとそれが記憶に残っていた。
 大学に入って専門科目を選択する際、自分の専攻する分野とは別に興味のあった言語学や国語学の講義を受けた。そういう中で「喋る」の命令形のことをふと思い出したのである。私なりに調べてみると、動詞の五段活用の命令形は「エ段」の活用語尾で終わる。書け(エ)、放せ(エ)、遊べ(エ)…など。下一段活用の場合は、活用語尾の子音に「エ」の母音をつけて、その後に「ろ」または「よ」を付けると命令形になる。捨て(エ)ろ、受け(エ)よ…など。
 ところで、五段活用の「喋る」は、下一段活用の「食べる」に音韻が似ている。前者の命令形は「喋れ」、後者のそれは「食べろ」となる。つまり高校時代の件の同級生が持った呑気な疑問は、ここのところを混同したのがそもそもの間違いだったのである。
 動詞や形容詞の活用形は、未然・連用・終止・連体・仮定・命令だと国語の授業で教わるが、それぞれの使用頻度には大きな開きがある。今ならコンピューターを使ってビッグデータを集められるだろう。文脈や会話の中で命令形の「喋れ」と「食べろ」が使われる頻度には相当な違いがあるのではないか。もちろん後者の方が多いことだろう。そうすると、後者の活用に影響されて「喋ろ」の誤用が生まれてもおかしくはない。いや、いずれはその誤用は一般的な言葉として普及・認知され市民権を得るのではないかと、密かに私は予想している。もちろん「食べろ」の方が「食べれ」に行く方向性もあるだろうが、言葉は生き物と同じ。それなりのバランスをとって変遷していくはずだ。
 さて「ら抜き」言葉の問題が今でも盛んに言われている。相変わらずテレビのテロップは出演者の「ら抜き」発言をご丁寧にも「らあり」文に修正して流している。「ら抜き」の言い方が大勢を占めているご時世になっているというのに、いつまでこんな面倒くさいことを続けるのだろうかと私は冷ややかに眺めている。
 近未来の日本語は口語(話し言葉)のみならず文語(書き言葉)も「ら抜き」になっているはずだ。時代の趨勢は止められない。それが生きた言葉の自然な歴史というものである。
 口語体で詠むことを原則としている川柳は「ら抜き問題」でだけでなく、誤用を含めた言葉づかいの変化に対して、常に柔軟な姿勢をとらないといけないと私は考えている。旧習墨守的な考え方で句を詠んでいては川柳という文芸ジャンルに未来はない。他の短詩型文芸よりそこら辺り截然と異なることを心得る必要がある。



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喋れ!喋ろ!”にコメントをどうぞ

  1. 山﨑草太 on 2020年6月5日 at 3:25 PM :

    昭和30年代後半、歌謡曲で「月の法善寺横丁」の歌詞の一節に「包丁一本さらしに巻いて旅に出るのも板場の修行…」で、高校時代友人と議論したことを思い出しました。
    〇包丁をどんな方法でさらしに巻くのか、ということです。疑問を持ったN君の主張です。
    〇これで問題ないとの意見が大半、でも納得しないN君。
    〇「包丁(を)さらしに巻いて旅に出るのも板場の修行…」助詞(を)が隠されていることで
      N君納得した覚えがあります。

    つまらないコメントですみません。

  2. 三上 博史 三上 博史 on 2020年6月8日 at 9:29 PM :

    ありがとうございます。
    私もこの歌はよく知っていますが、疑問は持ちませんでした。Nさんは、包丁そのものの危なっかしさをすごく気にしていたのでしょうかね。

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