Loading...Loading...

 コロナは一体どのように収束されるのだろう。集団免疫のことを含めて現時点でそれを正確に予想することは誰も出来ないことだが、少なくとも仮にワクチン接種が全人類に行き渡ったとしても、万事解決というふうには簡単にいかないことだけは確かなようである。ウィズコロナという言葉が生まれたように、ずっと人類はコロナと付き合わなければならなくなるはずだ。
 しかし、そのことを本気で真面目に考えている人間はあまりいないのではないか。大袈裟に言えば、一昨年新型コロナウイルスが発生して以降の人間の歴史は、社会的な距離をとり、日々マスクを着けて必ず手指消毒した生活を維持しなければならない訳である。これが永遠に続くと誰が想像できようか。やはりどこかで、いずれ元の衛生レベルの生活スタイルに戻ることができるだろうと考えたがる人間の方が多数派なのではないか。
 いずれ世の中の自動車は電気で走るのがすべてになるだろう、と近未来社会をスムーズに想像できても、すべての日本人が「新しい日常」に基づいて社会生活を営み続けていけるだろうと想像することは難しい。今後建設されるスポーツ競技場や映画館・劇場がソーシャルディスタンスをしっかり保った座席の配置を設計していくとは考えにくい(まっ、少しは工夫するだろうが)。もしそうなったら、減らされた座席数でイベントの採算をどう見込むのだろう。アクリル板の仕切りもどうだろう。屋外でも屋内でも、もしそんなものをすべての座席に設けたら、その違和感に馴れるのに相当の時間がかかるはずだ。
 ある程度コロナ収束の見込みが立つとなると、その総括が始まる。感染経路、感染防止対策、経済活動との関係など、いろいろな観点から検証されるのだろうが、そういった科学的な見地のほかに、一般市民の生活感情に基づいた議論も出てくるはずだ。
 国が提示して話題になった「新しい生活様式」について、あれは一体何だったのかと回想する者もいることだろう。新型コロナウイルスの感染というのは、どんなに大変な出来事であったにせよ、振り返って単なる「コロナ騒ぎ」だったと簡単に決めつける人もいるに違いない。
 要するにほとぼりが冷めればまた元に戻る。文明は進展しても人間の心理や感情はなかなか変わらない。進化もしなければ退化もしない。いろいろやらされた面倒くさくて儀式のよう手順も物事が収まればやらなくなる。人間の精神とはそんなものであろう。
 しいて言えば、神経質な人はさらに神経質にコロナと向き合い続けるだろうが、いい加減な性格のタイプは喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのではないだろうか。

 



この投稿を読んで「いいね」「参考になった」と思ったらクリックをお願いします。
なお、Facebook、Twitterなどのアカウントをお持ちの方はそちらをクリック頂き、また、「ひざポン」ボタンもクリックください(ひざポンは無記名ボタンですのでお気軽にクリックください)。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K