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 戦後の昭和の風景として、家にお客さんがやって来る時は大体がアポなしだった。黒電話もまだ普及していなかったから、いきなり訪れて不在ならそのまま帰るか、何かを渡す用事だったならば、隣家に行って代わりに受け取ってもらう、そんなやりとりをした時代でもあった。いや、玄関に鍵などかけていなかったから、勝手に入って上がり口にその渡し物を置いていくことも多かった。
 こういう暢気な暮らしぶりの中、我が家へお客さんが時々訪問する。父親の知り合いとか親戚筋の人がよく来ていた。
 お昼に差し掛かると、何かを用意しなければならない。大体が近くにある食堂からの店屋物である。ラーメンは出前を頼むと麺が伸びてしまうので、母親は蕎麦屋でよく天ぷらそばを注文したものだった。そうすると、父親とお客さんの分の他に、家族の分も加わる。日曜のお昼などに、子供たちは予期せぬご馳走にあり付ける訳である。注文する数には、いつも母の分は入っていなかった。男尊女卑の思想が我が家にあったからではない。母は30歳の頃に胃潰瘍で胃を3分の2ほど切除して、一人前のそばを食べられなかったからである。もちろん家計の出費を抑えるためという理由あっただろう。
 その頃の蕎麦屋の天ぷらそばは、どこの家でもご馳走だったのではないか。出汁の効いたつゆに手打ちのそば、そして天ぷらにした大きなエビが載る。エビがそもそも高級食材だった。
 父とお客さんは茶の間で食べる。子供たちは台所でご相伴に預かるような具合である。エビの尻尾のギリギリのところまで食べ尽くし、おつゆは最後まで飲み干す。こんなことが年に何度かあった記憶が残っている。
 しいて問題点を挙げるとすれば、父とお客さんに茶の間を占拠されてテレビが観られないというのが残念だった。その代償として天ぷらそばが食べられたということもあるのかもしれない。

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