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 「将来」と「未来」の二つの言葉の用法の違いについて、「類語国語辞典」(大野晋・浜林正人著/角川書店)には、こう注記されている。「『将来』は、きっと実現しうることや、ある程度必然性のあることに、『未来』は、『将来』より先をさすことが多く、漠然としか予想できない不確かなことに使われる傾向がある。」
 ある時、これを読んでうまい説明だなあと感心した。小学生が作文で「ぼくの将来はJリーガーになって…」と書き出したら問題ないが、「ぼくの未来はJリーガーになって…」などと書いたら、先生に「未来」は「将来」に直されることだろう。
 物事を自分に引き寄せた場合は「将来」を使う方が望ましい。「資源エネルギーの未来」などのように使う場合は、自分の一生を超えた長いタイムスパンが想定されるのでこれは不自然ではない。
 さて、コロナ騒ぎで「持続化給付金」なる言葉を耳にするようになったが、持続可能な社会とか開発とか、持続性のことが社会問題として浮き彫りにされて久しい。持続する、持続させるということは、何世代にも受け継がれて未来へ確実につながるという方向性を持つ話しであるが、現在の自分の行動がそのまま影響を及ぼすという認識(危機意識)を持つべきだ、決して他人事ではないという、道徳的なニュアンスも含まれている。
 将来と未来は、先ほどの辞典の定義ではある程度の使い分けが示唆されていたが、最近のメディアの論調を見ると、敢えて使い分けせず、未来に将来が取り込まれてしまう感じになっている。僕たちの未来はどうなってしまうのでしょう、などと小さな子供に言われても不自然ではなくなってきた。現在が持続しながらそれに連なっている未来がそれだけ切羽詰まっているということの表れでもある。現在の自分の行動は将来の自分の生活を左右するのみならず、そのまま未来に関係してくる、大袈裟に言えば直結するという訳である。明るい未来などと言うが、絶対そうなるとも限らないという不安感を与えているのである。
 他方、何事もなるようになる、何とかなるという考え方もある。未来のことは未来の人が何とか考えてくれるだろうという楽観主義である。これも根強くある。
 真面目な不安感・焦燥感とすぐには慌てない楽観主義、この二つの間を未来予想の振り子はいつも揺れ動いている。保守か革新かという時代はとうに終わっていることに気がつく。



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