読売新聞東京本社版の2月12日付け朝刊の社会面が「紙ストロー『ばかげている』」という見出しで、アメリカのトランプ大統領が紙製ストローの使用推進を中止する大統領令に署名したことを報じていた。紙製は「壊れやすくて使えない」、「プラスティック製は「サメにそれほど大きな影響を与えるとは思えない」という主張も紹介されていた。
国際面ではなく社会面に載っているのもおもしろいが、トランプさんと同じ考えの人は、案外多いのではないか。私もどちらかというとその考え方に近い。紙製は使いづらいとかねがね感じていた。
そもそもストロー程度で海のプラスティック汚染がどの程度防げるものなのか。そんなことより解決すべきプラスティック類の排出問題はいろいろあるのではないか。木を見て森を見ていないようなやり方だろう。
間伐材を使った割り箸は、森林資源の保護というより、そもそも使い捨てだからその消費が疑問視される訳である。ストローも使い捨てを止めて再利用するやり方に変えればいくらか印象はよくなるだろう。しかしその実現は難しそうだ。
プラスティック類のゴミ排出を減らすためには、容器や包装などでの使用を制限すほかはない。そして再利用をきちんと考える。ストローについて言えば、その生産と消費の量は相対的には大したものではないだろう。ストローについては、「塵も積もれば山となる」「千里の道も一歩から」の類いの諺は、あまり良心には響かないのではないか。
「藁にもすがる思い」という慣用表現があるが、英語では「catch at straws」となる。環境に対して、本当にストローにも縋りたくなるくらいの危機意識が高まるまで、「紙ストロー」使用への無理強いは待たせてもいいのではないか。
ちなみに言えば、ダイオキシンを発生させるからと自宅の庭先での落ち葉焚きを禁止するのもいかがなものか。これも大したことではないだろう。火事にならないよう留意するだけでいい。物事は何でもかんでも囃し立てればよいというものではない。
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