Loading...Loading...

  朝明第7号(2019年1月1日発行)特集[ターニングポイント]
  「川柳と出会う」  三上 博史

 私は短気で小心者、猜疑心が強くてすぐ人を僻む。生まれて以来そんな性格でずっとやって来た訳だから、人に尊敬されるはずもないし、異性にはあまりもてない。酒癖も悪い。
 それが三六歳の時に川柳を知って、少しずつ変化し始めた。きっかけは第一生命のサラリーマン川柳への応募だった。しかし、これはなかなかうまくいかず(五七五に詠めない)断念。何か他にないかと週刊誌や新聞柳壇に目を向けると、これが読んでみて案外おもしろい。試しに地元新聞に何度か応募したら、添削されながらも一応は活字となって載ってしまった。こうなると嬉しくて止められない、止まらない。
 人生の後半はこれだなと、すぐにそう思った。だから地元吟社の存在を知ると、知り合いが誰もいないのに何のためらいもなく自ら入会手続きをした。それからは句会のみならず県内のいろいろな大会に参加したり、県外の吟社などが主催する誌上大会などにも応募したりするようになった。気がついてみると入賞して獲得したトロフィーや賞状はかなりの数となり、句碑も二基建った。
 そんな川柳三昧を続けていると、川柳抜きの人生はもう考えられない。生涯の友である川柳にはただ感謝するのみ、劣等感も少しずつ消え、ようやく自信も生まれてきた。
 短詩型文芸のうち、川柳が私の性に一番合っている。川柳が趣味です、と人に話すと、大方は、世相を皮肉って面白可笑しく五七五にまとめたものと捉える。半分は誤解されていることに対して、私は敢えて反論や説明などはしない。俳句や短歌を嗜む方が恰好よく見える。それでも私は川柳なのである。だって私の人生を変えてくれたのだから。
 人間の価値を何で測るのか。人徳、知性、善行、資産、家柄、学歴、肩書、容貌…、いろいろな尺度があるだろうが、人の偉さは「どこまで自分のことを知っているか」ではないかと私は思っている。自分と向き合って、自分へとことん問いかける。己の感情の何が嬉しいのか、何を怒っているのか、何に悲しいのか、その答えを素直に探し続けてみる。そういう思考をするうえで、川柳を詠むという営みは最高のツールなのであり、カタルシスにもなる。私はこれを使って自分の心を持て余すことが少なくなった。
 振り返ってみると、川柳に出会う素地はそれ以前にあったと思う。若い時分、日本史を学ぼうとして大学の文学部へ入学したが、哲学専攻に鞍替えし、世の中のことには一つも役に立たない本を日々読んでいたこと。自分は世間で考えている常識とは少し違った眼鏡でいつも物事を観察していたこと。
 そういう人間が、日々の暮らしの中で普通になりすまそうとしていたから、人生に対して前向きになれず、いつもストレスを抱えていた。川柳と出会い、その殻をようやく破ることができた。やっと本来の自分に戻っただけのこと、それ以上それ以下の話しなのではない。



この投稿を読んで「いいね」「参考になった」と思ったらクリックをお願いします。
なお、Facebook、Twitterなどのアカウントをお持ちの方はそちらをクリック頂き、また、「ひざポン」ボタンもクリックください(ひざポンは無記名ボタンですのでお気軽にクリックください)。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K