川柳は五七五のわずか十七音の言語表現だから、詠み手の詠んだとおりのことを読み手がそのまま理解するということは難しい。いや、そのまま素直に理解されたらかえって面白味や深い味わいが得られない。解釈と鑑賞は読み手に委ねられて作品は生かされる。
昨年4月からFacebookで「∬∬ 今日の一句 ∬∬」を日々載せている。詠んで載せては読んでいただく立場として、分かりやすいものから心象句的なものまで自分なりにめりはりをつけて更新しているが、以前「そうは思わない」という簡潔なコメントに出合った。
それは正直な感想なので、一応そのまま受け入れてみたが、でもそういったコメントは「それを言っちゃおしめえよ」の世界なのではないかとも密かに思った。
川柳をはじめとして短詩型文芸を鑑賞するうえでの最低限のマナーは、作品は好意的に読むという姿勢が挙げられる。裏を返せば、どんな名句・秀句でも、句を貶すことは赤子の手を捻るくらい簡単なことで、それを意図的にやってしまったらすべてはおしまい。何も残らない。だから、句を読んですぐ「そうは思わない」という言葉を吐くのではなく、そう言いたくなる気持ちを抑えて、一先ずはコメントせずスルーする(黙る)のが一番いいのではないか。
大袈裟になってしまうが、生い立ちや人生観・価値観、政治信条や信仰する宗教まで人それぞれに違う訳であるから、十七音の作品がそのまま素直に理解される方がかえって不自然だとも言えるだろう。いつか、何かのきっかけで万に一つでも再びその句と出合うことがあって、その時は前回と違って思いも寄らず共感する可能性だって無きにしも非ずなのではないか。
短詩型文芸との出合いとは、そういう可能性(醍醐味)をいつも秘めているのだと理解しておくのがいいと思う。
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う~ん。
どんな句だったのか、やはりそれを書かないと。
文章に説得力が…、笑。
どんな句でも、ここのブログの読者なら大丈夫よ。
どういう反応ももちろんアリ、受け止める、それでいい。
むしろふだんから熱心に読んでくれている、ファンなのかもよ。
ありがとうございます。
熱心な読者かもしれませんね。大切にしないと…。