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 国会中継というのはシナリオどおりの質問に対してシナリオどおりに答弁する、大方はおもしろくもない議論がほとんどであるが、たまに出色の論戦に出合うと、木戸銭も払わずに楽しめるので、しめた!得した!と喜んだりすることもある。
 以前、ある新聞記事で、哲学を専門とする著名な某大学教授が国会論戦における「論点すり替えの虚偽」について、集団的自衛権の議論を具体例に挙げて論理的に説明していた。なるほどと思いながら文章の展開を読み進めていったが、読み終わって振り返ってみると「それって当たり前じゃん!国会答弁の白熱さなんてほとんどが論点のすり替えなんじゃん!」ということに改めて気がついた。申し訳ないが、その大学教授の文章は、小難しい用語を使ってもっともらしく論理を展開させながら、中味は大した言説を述べていないと私なりに評価したのである。
 数年前には「ご飯論法」などという言葉も流行ったが、そもそも論理とは何か、論理的とはどういうことなのか、これを極めて客観的に説明すること自体が難しいのではないか。実は論理学というのは、こういう世間で認識している「論理」の問題についてはあまり役に立つものではない。件の大学教授の記事がその典型である。「論理」「論戦」「論争」などというものには、どんなに客観な立場で向き合おうとしても、常に感情的な側面がつきまとう。これを捨象したものは実践的ではない。だからすべての人間が素直に納得する展開、顚末というのは、感情が収まらない(納得しない)限りほとんど有り得ないと言っていい。テレビや新聞の報道などで、民事や刑事の裁判の判決を受けた被告側、原告側のコメントがしばしば出てくるが、双方が円満に会見している姿など見たことがない。
 国会がある限り、おもしろ答弁に出くわす可能性はいつでもある。国会中継が時事川柳の格好の材料になり続けることができるのも、こういう感情的な勝ち負けの要素を孕んでいるから尽きないのである。国会審議のお蔭で時事川柳は生き永らえている訳である。



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