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 今年の成人式はコロナで中止とか延期とか、各自治体においていろいろな対応がなされているようだが、成人式についてかねがね思っていたことをここで記したい。
 私は二十歳の時の自分の成人式には出席しなかった。その頃大学2年生だったが、学年末試験が近づいている時期にわざわざ東京から実家のある田舎へ帰って行くことはなかろうと思ったのである。私と同じ考えの友達は大学でも結構いた。
 若かったのだろう、少しツッパっていたのだろう。三つ揃いのスーツなんか着たって何がおもしろいのかとひねくれてもいたのだ。
 しかし一つだけはっきり憶えていることがある。成人式で中学生の頃の旧友と会うのは楽しいことだろうが、会場に入って首長の祝辞を聴くというのが理解できなかったのである。これの何がおもしろいのか。何かを朗読したような、紋切り型の言葉を並べただけの話しのどこに感銘しろというのか。
 幼稚園から小学校、中学、高校、大学へと進みながら、入学式や卒業式という式典を何回も経験してきた。さて、そこでの校長の挨拶、来賓の祝辞の内容に感銘して一つでも憶えている者がいるだろうか。みんな気持ちが高ぶって、そんな話しを一々聴いていないのではないか。頭の中は完全に別のところへ飛んでしまっているのである。そして、こんな長ったらしい話しなど早く終わらないか、と心の中で貧乏ゆすりをしているのではないか。
 成人式とは、そんな退屈なことを繰り返した最後の締め括りで、首長や来賓の今後拝聴することはない本当に最後のもっともらしい話しに対して仕方なく耳を傾けて付き合う訳である。おそらく誰も親身に聴いてはいない。式が終わって仲間とやること(飲む、騒ぐ)しか考えていないだろう。まともに聴いているのは取材しているマスコミ関係者と役所の担当職員ぐらい。それは仕事だから当たり前か。

 

 



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