月は戻ったがまだ欠けている私
今世紀最後の皆既月食を経て、眼裏に赤味がかった朧月が残っていて、脳裏から離れないという者もいる。あの夜から、なかなか立ち直れないでいるという。月食と体調の不具合に関連性はないものを、傷の深さを噛みしめているようだ。素早く立ち直ってくれるのを祈るばかりである。とりわけコロナ禍で外出もままならない時間が...【続きを読む】
屋ぬちでも運動足りるもの忘れ
冷蔵庫の前まで行ったら何を取りに来たのか物忘れして、また用事を思いついた所まで舞い戻る。元の場所に戻れば、ずっと前から探していた道具がふっと見付かる。もう冷蔵庫のことは、頭から飛んで消え、先日来の継続作業に没頭している。
全くの私事ではありますが、今年から可能な限り、金曜日にブログの更新を心掛けたい...【続きを読む】
どこを切っても男の芯が逸れている
最近は、マスクも屋外では原則着用不要と言っているが、市民は外さないのか、外せないのか。他人に迷惑がかかるから外せないのなら尊い。習慣になっているとしたら、なお凄い。しかし、何かが足りないような気がする。通念や習慣の奴隷になって法制度を遵守しながら暮らすことに盲従し、何も考えないことを恐れている。国防...【続きを読む】
ことばとはにれかむ新子まだ側に
最近、川柳の世代交代が進んで、信号無視に近い句も、堂々と活字に残っている。一旦停止を無視するどころではない。標識の見方さえ覚束ないようだ。まあ、誰でも同じ道を歩むのではあるが、根本的に違うのは、後フォローが無い事で、交通違反の罰金とまでは行かないまでも枷が無いからである。「句会は掟である。強者の都合...【続きを読む】
「ママに優しくしようかな」パパが言う新年
新年あけましておめでとうございます。お雑煮を祝って、新年恒例の子供たちが「今年こそ」とそれぞれの誓いを披露しながら、決意を示してくれる。吊られたようにパパがふっと漏らした誓いに、子供たちが、拍手で讃えてくれる。ママだけは一瞬ほころばせた顔を「フン」とあざ笑うように背ける、「ムリ無理」全てお見通しなの...【続きを読む】
いま一度焼かれ弾けてみたい栗
存えていると刺激や感動が減ってくる。というより、むしろ皆無の世界で息をしているようなものである。苦節を越えてきた過去を振り返って、しみじみ懐かしんでいる。疲れ、剥かれ、干され、焼かれてきたが今なら耐え得るだろうか。あえなくプッツンするかも知れない。来年が、皆様にとって輝く年でありますように。
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老々介護たぶん最後の濃密期
若い読み手には、他人事かも知れないが、後期高齢者にとっては、切実な問題である。そう思うことでこれまで越えてきたなんだ坂を助けたり、こんな坂で助けられたりしたことが甘く蘇る。これが最期、今日で終わり、と言い聞かせながらの介護が、大切な最後の濃密な時間に変わる。
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売れぬCDが奏でてくれる売れぬわけ
ひと山いくらのCDを片っ端から聞いてみた。勿論世代も違うが、それなりにひと山の理解はできる。が、どこか物足りなさを感じながら、「売れないのは当たり前だよな」と自身を納得させている。それでも中に掘り出し物もあるから、この狎れた作業が面白いし、止められないのだ。
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