
何処で切っても人生は途中なのだ
「何処を切っても」の「を」と「で」の違いが、句を左右する。「を」の場合は終わってしまった人生について語っているが、「で」はいまも続いている人生を語っている。勿論、後者でないと作者の意に添わないと勝手な解釈と一緒にぼやかせて貰った。
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みんなより少し老けてるだけなのに
木割大雄氏(俳句作家)に取り上げて貰った現代川柳である。「この一句に出会ってうれしくなっています。そうですよねぇと一人でにやにやしています。嬉しいではないか同感である。」というコメントを頂いたことで。自分的には一気に輝きを増したような錯覚を覚える句になった。
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サーブ権真っ赤なバラで取り戻す
相手との主導権争いに真っ赤なバラを送って、サーブ権を取り返したという。サーブ権の句は、ときどき見かけるが、二人の間の微妙なサーブ件争いは、複雑怪奇で、第三者には理解が難しい。次の新手に何を繰り出そうかと、レシーブしながら考えている。
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小走りの未だ麓を彷徨えり
齢86歳を迎えている。いまだに見上げる視線に変わりはない。此処まで来れば、もう世の中からは邪魔物扱いである。振り返れば、あっという間の80数年だったような気がする。役には立たなかったが、大きな迷惑もかけなかったというささやかな自負。これでよいのかも?
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