昔の部屋の照明は大方電球だった。正確に言えばフィラメントの入った白熱電球である。その後、電力消費量が少ない蛍光灯が普及してそれが一般的になり、現在はLED照明の時代になろうとしている。
谷崎潤一郎の随筆に「陰翳礼讃」というのがある。陰翳から日本文化の奥ゆかしさを論じたものだが、これを読んで電球が見せる陰と陽のめりはりを連想した。
子供の頃、我が家のどの部屋も勿論電球だった。電球だと、障子に影絵を作るとくっきりシルエットが浮かんできた。地球儀に電球を当てると、はっきりした輪郭線が出るので地球の自転、昼と夜の移り変わりがよく分かった。
その後、部屋の明かりは順次蛍光灯に入れ替わったが、蛍光灯の良さは昼間のような明るさだった。子供心にそのとおりだと感じた。
しかし電球の明るさのめりはりもそれなりの趣きがある。実は、我が家の台所は今でも電球型の蛍光灯を使っている。シェードがオレンジ色で他の蛍光灯の部屋とは違った雰囲気になっている。その明るさの下で、毎日夕飯を食べている。大袈裟に言えば異空間的なものがそこだけに幾らか漂っている。
夜は夜なのだからわざわざ昼間の明るさの感覚に近づける必要はない、そういう考え方がある。現役時代、残業などで遅く帰った夜、まず缶ビールを冷蔵庫から取り出して台所で飲む。少し酔い始めると、電球型蛍光灯の明るさに包まれながら、他方で天井の微妙な暗さも意識の隅で感じてその日一日を振り返ったものである。
夜の明るさを昼の明るさに近づける、似せる必要はないと思う。人間にも夜の意識と昼の意識があるように、夜には夜らしい明るさがあっていい。陰と陽のめりはりのある明るさの中で一日の心を少しずつ入れ換えて落ち着くことも必要だ。陰と陽から不気味な怪しさも醸し出されるかもしれないが、それも慣れればある意味心地よいものとなるだろう。
三上家のお台所、大きめのペンダントライトを想像しました。お食事がおいしく見えるそうですよ。器にも影ができて上等に……見えるとか。
おお、久しぶりのコメントありがとうございます。拙文をちゃんと読んでいるんですね。
しかも、大正解です。そのとおりのペンダントです。
では、日曜日に読む会でお会いしましょう。