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 私は物がなかなか捨てられない性格である。だから自分の部屋はいろいろな本や冊子などが溜まるばかりで、年に何回か掃除して処分するがなかなか減らない。いつの間にか増えてしまう。
 捨てられない理由は愛着があるからそうなのではない。物に対する単なる記憶があるからである。一度忘れられた物でも、改めて対面するとそれにまつわる思い出が甦ってきて、最終的には捨てられなくなっている。記憶があるということは、いつか何かでまた役立つのではないか、私の部屋に置かれて存在すること自体に意味があるのではないかと勝手に考えてしまうのである。
 ところでパソコンはどうだろう。マイドキュメントの中のいろいろな名前を付けたフォルダーは増えるばかりだが、これは家の中のスペースをとる訳ではないので物理的に人様(家族)の迷惑になるということはない。写真や動画は容量を食うのでこれは選別して保存しているが、WordやExcelの文書は大した容量ではないのでとりあえずはすべて保存している。
 ではメールはどうしているか。いくつかのアドレスを使い分けているがこれも溜まるばかりである。個人からではない不要なメールは日々削除しているが、家族や仲間とのやりとりなどはとりあえず残してある。スマホでSNSのLINEやMessengerも少しやっているが、過去のやり取りをわざわざ削除する作業などはしたことがない。
 メールは受信でも送信でも古い文面をたまに読み返してみると、懐かしいく思ったりするものが結構出てくる。だから削除できなくなってしまうのである。
 よく「言った言わない」の話しで問題になったりすることがあるが、メールの場合はとりあえずでも残しておけば、遡っていくらでもその証拠を探し出すことができる。裏を返せば余計なことをメールに書き込んでしまったら、相手にはしっかり届いて残されるということでもある。
 パソコンもインターネットも無かった昭和の時代、上司から言われたことがある。大事なことを相手に申し渡す場合は、必ずもう一人誰かを連れて行け。言った言わないの議論になった時の証人になるからだ。絶対に一人で乗り込んでいくな、と。逆に誰かに対して余計な放言をするような場合、二人だけならいいが、他に誰かがいるとその人物がその発言の確かな証言者になっしまう場合があるから気をつけろ、とも言われた。
 パソコンやスマホのメールやSNSも、証拠が永久に残るというのは怖い世の中であり、逆に言えばその証拠がいつの日にか表に出て力を持つ場合がある訳だから頼りになるとも言える。

 



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