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 川柳総合雑誌「川柳マガジン」が毎月届くと、私の場合は寝床で読むことが多い。それも夜中の3時とか4時とかである。小用を足すために目が覚めて、その後布団に戻って眠れそうもないと思うと、枕元にある川マガのページでも開こうかなとなるのである。なお言えば、今のところ就寝後の小用は1回程度で何とか間に合っている(余計な話しではあるが(笑))。
 8月中旬、いつものように枕元の電気スタンドを点けて川マガ8月号を読み始めた。「柳豪のひとしずく」は大阪・門真市の和泉雄幸さんである。どこの吟社にも属さず新聞柳壇を中心に活躍なさっている。柳論に半生が記されていて面白く読まさせてもらった。それから作品を一句ずつ読み始めた。一読明快がずらりと並んでいる。
 読み進めていって「幸せを感じないから幸せだ」に目が留まった。「うわっ!」と思った。私の幸福論にピタッとはまる五七五だったのである。思わず「そのとおり!」と心の中で叫びたくなった。
 2025年2月3日に「『有り難くもない有り難う』(朝明第13号から)」、同年4月9日に「反ありがとう論」、2026年6月12日に「続・反ありがとう論」を書いたが、「ありがとう」も「幸せ」も私にとっては全く同じように扱われるべき概念である。
 物事を当たり前だと思ったら、その物事は有り難くもないものである。これを幸せの考え方にも応用すると、自分の幸せを当然のことだと思ってあまり意識していなかったら、改めて幸せというものを実感したり、嚙み締めたりしないすることはないだろう。そのように感じるのは不幸せに陥った時に過去を振り返ってみて、あの時は幸せだったなあと思い起こすものなのである。
 この作品は、自分を冷徹なまでに客観視している。下五の「幸せだ」の終助詞「だ」は断定とも詠嘆とも受け取れるが、両方の意味合いが込められているかもしれない。上五の「幸せを」は「幸せと」としていない。この措辞もいい。「幸せと」にしてしまうと「○○を幸せと」感じることになる。人生の一つひとつの場面を切り取ってテーマにする具体性が連想される。「幸せを」だと、「(そもそも)幸せ(そのもの)を」感じることがない、というような解釈ができる。人生全般を総括するような意味合いになる。これは下五の断定・詠嘆の「だ」にうまくつなげられる。修辞的技巧が全く使われていない散文調でまとめていることも、作者の思いを素直に伝えている。
 20年ぐらい前に詠んだ拙句に「幸せに気づいていない窓明かり」というのがある。夕食後にいつもの散歩をしながら思いついた作品である。日が暮れた街並を散歩しながら、何10軒という家の前を通り過ぎる。それぞれの窓明かりに思いを馳せて五七五にまとめた私のお気に入りの一句である。どの家の窓明かりも幸せだと気づかずに煌々としている。そんなことに思いを馳せて一気に出来上がった作品だと記憶している。和泉雄幸さんの作品と拙句には、幸せの真っ只中にいる時は幸せを感じない、幸せは振り返って思うものだという考え方が通底していると思う。
 夜中の3時頃だったろうか、トイレの後の寝床の中で私なりに共感した素晴らしい作品に巡り合えた。改めて作者と川マガ編集部に感謝したい。そして、予期せぬ世界へ導いてくれることもある寝床の読書もなかなか止められない(頸椎に負担がかかるのであまりよくないと言われているが…)ことを付け加えておく(笑)。

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“幸せを感じないから…-川柳マガジン8月号から-”にコメントをどうぞ

  1. 月波与生 on 2026年10月5日 at 8:20 PM :

    思えば川柳マガジンが毎月しっかり届くこともさまざまな理由で一人で川柳を書き続けている人にはしあわせなことだと思います。右も左もわからない時代は川柳マガジンが一番の、そして最良の水先案内人となることでしょう。それが当たり前でないことを感じてほしいですね。

    • 三上 博史 on 2026年10月6日 at 8:35 AM :

       与生さん、コメントありがとうございます。
       私の「幸福論」から、川マガを持って来てくれたのですね。うーん、これには思いが及ばなかった。

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