「そうか、来ないのか。」といった加藤鰹氏の声が今も耳に残っている。
2016年「たかね」新年句会の前日のことである。
(当時老人会の会長もやっていてその新年会を抜けられなかった。)
前年の「たかね」新年句会に行った時、
「合同句会をやろう」という話が鰹氏から出た。二次会の居酒屋でのことである。
ただこの後、
鰹氏はご承知のような事情になって、この話はなかったものと思っていた。
ところが彼は覚えていた。「やろう」といってきたのには驚いた。
なんという凄い男かと思った。
12月長泉町で合同句会をやって(その時の写真)
その年明けの「たかね新年句会」の直後、2016年1月25日、加藤鰹氏は旅だった。
なぜ新年句会に行かなかったかという後悔はある。また会えると思っていたんだから。
千葉の日川協の大会時からの鰹ちゃんの行動は 血気迫るものだった。大会行脚でことごとく「賞」をさらっていった。オイラだったら世の中を恨んで・・女房に当たり散らしている事だろうが、甲斐野誌で「私の好きな一句」の原稿募集をしていたので・・鰹ちゃんの句でエッセイを書いて出した。この頃「朝・暇なんだよ」へっへっへ。
お目汚し「かつぶしをたっぷり掛けてネコまんま」 信二郎
そうだった。彼のあの行動は、凄いという他にことばがみつからない。
「団石の掲示板」覗いてはいるんだろう?。
そりゃあ2年間も毎朝、4時、5時に書き込みしたら疲かれるよ。
いいじゃない、、、気が向いた時だけでも、、、出ておいでよ。
(そんなにがまんできないだろ)(^o^)
火の鳥になってあなたに逢いに行く 鰹
岡山県のある大会で天を取られていた時、お会いしたのが最後でした。
もうかなりスマートなお姿でした。
加代ちゃん どうもどうも。
こうしてコメント入れてもらうとうれしい。
この年の彼の行動を思うとじんとくるものがあります。
鰹さんの句碑に逢いに行ったのは今年の1月24日でした。
7回目になります・・・
新東名の新静岡で降りると左折でわりかし近いもので気軽に行けますね。
まだ当時のブログに書き込みができるのにはびっくりです。
春ちゃん どうもこんばんわ。
そう、、、7回も行っているんだ。それだけの想いがあってのことですね。
「かつぶし」を読み直してみました。
蕎麦の花揺れるただそれだけの午後 加藤鰹
なんかじんわりとくるものがあります。
鰹さんがどんなに皆さんから慕われていたがよく分かります。
私もたくさんの思い出があります。
「たかね新春句会」行って会えなかったことを今でも後悔しています。
改めてご冥福をお祈りします。
靖政さん どうもどうもです。
なんか呼ばれたような気がしたもんで起きました。(^o^)
めぐり逢おう今度生まれて来る時も 鰹
静岡県誌上川柳大会への投句よろしくお願いします。