11日は、洋画2年の絵具づくり。
一概に「油絵具」といっても、時代によって大きな変化がある。
表現において、素材の違いはストレートに最終の見えに影響する。ということは、自分の表現に合った素材を用いることが早道になる。
川柳の場合も同様だろう。
時代を捉えようとすれば、今の素材(コトバの新しい価値)を盛り込んでいかないと、新しい作品を生み出すことは難しいと思います。
句会で抜ける程度を求めることで満足するのではなく、創造者として今の新しい表現を拓くような川柳を作りたいものです。

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句会で抜ける程度を目標にすると、どうしても「抜けやすい句」に収斂していく。以前特選を獲得した句を自己模倣する。そういう安易な再生産ではなく、創造者として今の言葉の新しい価値を拓く。言うは易しですが、その緊張感を持ち続けることが現代川柳の書き手に問われていることだと思います。
ありがとうございます。
多くの川柳を楽しむ方々にとって「作家」という意識を感じることが少ないのは、仕方ないことだと存じます。
が、六大家の時代や、私が川柳を始めた50年ほど前までは、まだ句会でも「作家」意識の高い個性ある川柳家がおりました。
私は、三柳に創作ばかりを教えられたので、句会での作句も創作の延長でした。
初期は、よく抜けていました。
ところが、一番句会に夢中になってきたころ、初期の選者がみな原液を去り、急に抜けなくなりました。最初は、自分の作句力の不足を思いましたが、実は、選者の方の意識が変わってしまい、新しい試みなどは顧みられないようになっていたのでした。
ですから、今の句会では、抜けなければ面白さも半減ですので、句会は句会の作句をして腕を磨く手段とし、創作こそ本当の作品を目指す場所として周囲には指導しています。
句会で真に心を揺さぶられるには、ある程度同レベルの集まりにしていかないと難しいもんがあります。そんなことを言うと新しい川柳愛好者の入る隙間が亡くなると言われそうです。
分けて考え、川柳にも文芸としての表現への挑戦があることを周知していかねばならないのではと存じます。
〈句会は句会の作句をして腕を磨く手段とし、創作こそ本当の作品を目指す場所として周囲には指導しています。〉
この「句会」は、大会や誌上選に置き換えてもよいと思います。私は、この違いを明確に語る指導者が少なかったことが、「選者に抜かれた句が良い句である」という認識を広めた一因ではないかと考えています。川柳マガジンをはじめとする誌上選も、その文脈の中にあるでしょう。
もちろん、句会や大会は作句力を鍛える大切な場です。しかし、それは必ずしも作品としての価値を測る場ではありません。選に入ることと、新しい表現に挑戦することは、ときに異なる方向を向くからです。
『これからの川柳』は、まずこの違いを明確に示すことが必要だと考えます。句会・大会と創作の役割の違いを語る川柳人が増えることを期待します。