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 大学1年生の時、練馬区上石神井に1年間下宿していた。上京して初めての都会暮らしだったが、昭和50年当時の上石神井はキャベツ畑がまだ点在していて長閑な雰囲気のところが残っていた。昔から練馬大根が有名だったが、大根畑は見当たらなかったことを憶えている。
 先日、東京へ行く用事があり、ついでに上石神井まで西武新宿線で足を延ばしてみようかと思いついた。下宿先を離れてから上石神井へはおそらく一度も行っていないだろう。48年ぶりとなる。何故急にそんな行動をすることに思い至ったのか。それは数年先に関西方面へ引っ越すことを考えており、そうなったら東京などにも簡単に行けなくなるだろうから、今のうちに出掛けてみたいと思いついたところは躊躇わずに足を運んでみようという気持ちになっていたからである。
 さて梅雨の合間の曇り空の日、高田馬場駅で山手線から西武線へ乗り換え、車窓を眺めながら現地に向かった。駅を降りると、かつての思い出の片鱗が全く役に立たないほど様変わりした状況だった。駅北口からとにかく北の方へ向かうと新青梅街道にぶつかる。これを手がかりにすれば何とかなるだろうと歩き始めた。朧気な記憶を手がかりに歩を進めていくと少しずつ気持ちが昂ってくる。しばらくして、とりあえず新青梅街道に辿り着いた。ここから先が分からない。下宿先へはこの街道に設置された歩道橋を渡ってさらに北へ進めばいいことに気がついた。そして歩道橋を見つけて渡る。人気(ひとけ)のない少し曲がりくねった道を道なりにいつも歩いていたことを思い出した。そのとおりに歩く。道なりの景色はすべて住宅になっていた。
 辿り着いた下宿先付近の家並みは一変していた。ここら辺りではないかと見当がついたが、それが判明するとさらに探すことは断念した。下宿先は通りから少し奥まっていたので、その先まで入ろうとすると不審に思われるのではないかと気づいたのである。おそらく建て替えられて、違う人が住んでいるかもしれない。住居表示も当時と変わっているので、そこが本当に正しいのかどうか私の思い込みである可能性もあった。
 さらに、何度か足を運んだ区立図書館方面へ行きたくなって北へと向かうことにした。相変わらず街並みはほとんど記憶がない。断片的な記憶とも異なる。これは仕方がない。通りに行き当たって、それを道沿いに東へ向かって歩いていると三重塔を発見。これで一気に記憶が甦った。京都や奈良ではなく、東京のそれも郊外の住宅地にこういう建築物があることに、18、19歳当時の私は驚いたことがあったのである。それが立っているDというお寺の名前も急に懐かしく思い出した。
 それからもう少し歩いて図書館に到着。当時とは違う建物になっていた。建て替えられたのだろう。ちょっとだけ中に入ってすぐに出てきた。
 帰りは再び新青梅街道の歩道橋を目指した。そしてそこから駅に向かって真っすぐ南へ進んでいった。これが当時通っていた道なのである。〇〇表具店の看板を発見。また記憶が甦ってくる。当時の私は「表具」が何のことか分からなかった。表具屋が50年近くも店を構えているのは、いかにも表具屋らしいと感じた。さらに歩くとFというラーメン屋(中華料理店)を見つけた。ここはよく通った店である。建物は当時からは変わっている。当たり前のことだ。親から子へと代も替わっているのではないか。しかし名前を見つけただけで感激した。
 駅近くになると、今度は小さな靴の修理屋を見つけた。ここは一度靴の修理を頼んだことがある。大学入学の準備をしていた頃、友達と宇都宮へ革靴を買いに行った。安売りの店があるので、そこへ行こうと誘われたのである。茶色の革靴を初めて買い少し大人の気分になった。入学後毎日履きながら大学へ通ったが、1年ももたず靴がダメになった。買い換えればいいのだが、何となく勿体ないと思ってそこの店で靴を修理してもらったのである。後で振り返って、もう靴底もかなり擦り減っていたので、修理するほどでもなかったと気づいたが、お店の人はそのことにはふれず直してくれた。当時の記憶がはっきり残っている。なんでもすぐ新品に買い換える今の時代とは違って、その頃はまだいろいろな修理屋があったのである。
 ついに駅へ到着。小さな旅だったが、三重塔、表具店、ラーメン店、靴の修理店と、当時からあって今も存続しているものに出合えて、それなりの収穫があった。もう二度と来ないかもしれないとも思った。
 家に帰った翌日、スマホのGoogle Mapsを開いて改めて付近を検索してみると、キッチンMという洋食屋の表示を見つけた。ここも何度か通ったところである。店を検索サイトで調べたら建物はやはり変わっていた。しかし、Aランチ、Bランチという当時のメニューが今も続いていることには驚いた。

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