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竹本瓢太郎さんが亡くなってしまった。今日は、通夜である。
心からの感謝と哀悼を捧げたい。
木枯が旧い絆を連れて去る    十六代 川柳
なんだかんだ言っても、私にとっては掛け替えのない川柳の先輩であり、誉められ、叱られ、また背を押されて、今の川柳家としての私に少なからぬ影響を与えた方だ。
今日明日、シゴトで顔を出せないので、せめてネット上で瓢太郎さんを偲びたい。
初めてお目にかかったのは、昭和50年の川柳公論の吟行会だったと思う。三柳が、「今度本に載せるから、この人の写真を撮れ」と連れて来た。
 今、あらためて見ると若い。今の私よりも15も若い43歳。男盛りである。
以後、川柳公論の会や川柳研究、川柳白帆の句会で可愛がっていただいた。ただ、私はきやりの句会に行くことを三柳に許されなかったので、きやりの瓢太郎氏を知るようになるのは、ずっと後の事だった。
2005年秋、川柳人協会会長になっていた瓢太郎氏を訪ね、2007年の《川柳250年》の川柳行事に協力を求めた時、諸手を挙げて賛成してくださったのが嬉しかった。その後、組織としての川柳人協会は後援だけで協力しないとなるなど、チョットしたトラブルが生じ、狭い川柳界の遣りにくさを感じたが、個人的には、会うたびに背を押してくれていた。
その後の《慶紀逸250年》行事では、選者を引き受けるなど、文化発信行事にも協力をしてくれた。これも組織を離れての個人で、組織全体を説得する難しさをにじませていた。
ある川柳忌の日、瓢太郎氏が句を出していた。もう功なり名を成した御大になってからの事である。前抜きに抜け、五客に抜けた。さらに三才の天だったと思う。三才にも抜けた。その天の句に私は納得できなかった。きわめて下手だったからで、そういえば、五客も前抜きもたいした句ではない。選者の顔を見て、あっと思った。選者は、字を見て「忖度」したのであろう。まだ若かった私が、一緒に電車の帰途だった三柳へ選者の不当な選への不満と既に重鎮となった瓢太郎氏が下手な句をまだ出していることに不満を言った。三柳は、笑って「句会なんてこんなものさ。句会から名句が生まれた時代は去った。お前だってきっと同じだろう。句箋が配られれば句を作りたくなる。これも句会屋の本質さ」という。納得は出来なかったが、今になってそのことを良く理解している。
瓢太郎さんとは、兎も角付き合いが長い。私のカメラも無数の瓢太郎氏をおさめてきた。今、そのいくつかを並べてみると、一人の川柳家の姿が思い出されてくる。
 どの顔にも思い出がある。ずいぶんと先輩の意見に青い息を吹きかけたが、今は有難く川柳の肥やしにしている。
今年の9月23日の川柳忌の写真が最期となった。
 さいごまで「一泉が…」「一泉が…」と言ってくださった先輩に、こころから御礼申し上げる。
瓢太郎氏は、昭和8年11月12日生まれ。本名を正秀といい、昭和27年、18歳の時に父の飛田瓢軽坊(とんだ ひょうきんぼう)翁の指導で川柳を始めたという。
川柳きやり吟社の社人になったのは、25歳の折。この時、村田周魚翁は、もう70歳だった。晩年の周魚翁を知る生き残りの川柳家だった。
川柳きやり、川柳人協会を通して東京川柳界に貢献し、また全日本川柳協会副会長として同協会の舵取りにもおお粉影響を与えていた。
京浜川柳大会や川柳文化祭でも10回以上の優勝歴があり、やはりそこら辺の句会屋さんとは異なる存在感があった。
NHKラジオの選評を務め、地方版だが新聞選者としても活躍、投句者を組織して川柳にらしい血を増やした功績も大きい。
句集に句会作品の『東京』と自選句集の『江戸っ子』がある。
平成最後の除夜の鐘を聞かず、また目前に迫った川柳きやり吟社100周年記念大会を見ずして亡くなったのは、多少の心残りだったと思う。
遺作から。
<昭和50年代「川柳公論」>
許された過去だが過去に縛られる
墓地を掘る乾いた喉に胞子散る
空白をうめる音符を探す闇
<昭和~平成の句会>
酢の物が出て水割りを酒に変え
風化した言葉を綴る古き血よ
マドンナが去りライバルと酔いつぶれ
<「川柳きやり」11月号>最後の作
医者も医者ならば患者もまけてない
顔色を読んでて何かできました
魔術師になり切っている知恵袋
どたんばの意地が動かす脳回路

「後に続くを信じて…」というように私も川柳という文化に微力ながら貢献しようと、先輩柳兄の死を機に、また自らに言い聞かせている。        (合掌)



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