今日は、川柳展望の夢草先生の東京吟行会にお邪魔して、楽しい時間を過ごしました。強力な「雨女」ないし「雨男」がいらしたようですが、吟行中の1時間ほどは、ちょっとした晴れ間になり、ひそかに自分の「晴男」の効力かと一人合点していました。
作句も、「吟行」という日常から離れた気分での作句機会は、机に向かう仕事の私にとって、えもいわれぬいい時間でした。
収穫は、夢草先生の褒める「難波」的可笑しさの作品と、私が目指す「江戸」を引きずる作品とのギャップで、この多様性が川柳の力になっていると感じました。東京から参加の作者の句に、夢草先生がしきりに首をかしげているのを見て、文化の違いがあることを再認識。それだけでも愉快な時間だったと思います。
「間」という課題の選を仰せつかりましたが、上手い句の多い中、その上手さが、類想から脱していないものが多いことに難をつけましたが、十七音しかないので、それを認めねば仕方ないというご意見。枯れている大先達の言に、青二才は、それでもその枷を超えて行かねばならないと、青い理想をぶつけました。
来年は、川柳が文芸の資質を獲得して250年の節目です。文芸(言葉の芸術)というからには、過去の繰り返しだけは避けたい…と、思うこの頃です。あたたかく、青二才の言い分を聞いて下さった、夢草先生に「乾杯」。気持ちよく酔って帰ってきました。
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